鈴木しづ子 27歳 昭和21(1946)年から 7句
昭和21(1946)年の発表句は句集『春雷』を除くと、総数21句に過ぎない。尚且つ、その中には『春雷』に採録されたダブりが5句含まれるので、それを除くと16句となる。続く昭和22(1947)年からは第二句集『指環』へ採録されたものが出現するが、何故か、彼女は昭和21年の作品を『指環』に一句も採録していない。以上の16句から7句を選んだ。僕がこの如何にも読者に無用な注を附すのは川村蘭太氏「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」(新潮社2011年1月刊)の編集権を侵害しないためであるが、今後は、この謂いを省略することとする。僕はこのブログによって如何なる利益も蒙ってはいないし、今後も利益を蒙ろうというつもりは、全くない、からである。これは飽くまで、僕のしづ子へのオードなのである――
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旅ごころさそふふみをばさみだれに
(「現代俳句」昭和21(1946)年9月号)
「現代俳句」は石田波郷が編集に当たった画期的な綜合雑誌で、これはその創刊号でもある。しづ子のメジャー・デヴュー五句の内の一句。――エトランジェが手紙をなめて背後の五月雨へとフォーカス・インする。――波郷は当時三十三歳、翌年十一月には現代俳句協会を創立するなど、戦後の俳壇の再建に精力的に活動していた。また丁度この頃、宿痾となった肺結核に既に罹患していたものと思われる。
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梅林によするこころや昃る帶
(「樹海」昭和21(1946)年9月号)
「昃る」は「かげる」と読む。――梅林――高速度撮影でパン――ティルト・ダウン――手前に和服の女の後姿がイン、その帯で止まる――初春の淡い夕陽が帯に影を作り――背後の梅林が静かに暮れなずむ……。
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このてぶりうれしくひひな飾りけり
(「樹海」昭和21(1946)年9月号)
ここでもアップの雛人形の手振りから、それを愛おしく手に取って雛壇に飾る女の手へとズーム・アウトしてゆく、彼女独特の遠近法が美しい。
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よるの萩おもひそめたることども書く
(「樹海」昭和21(1946)年12月号)
「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の確信犯インスパイア。これはしづ子の実景であると同時に、市振の宿の芭蕉の部屋の、その襖を隔てた隣室の、遊女の思いへのタイム・スリップでもある。
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秋葵みづをこえたる少女の脚
(「樹海」昭和21(1946)年12月号)
「秋葵」は双子葉植物綱アオイ目アオイ科トロロアオイ属オクラ。勿論、ここでは「あきあおい」と読んでいる。周年開花するが、初夏から初秋までが頻繁な開花時期で、季語も夏。5~7cmの黄色若しくはクリーム色で中央が赤い花をつける。通常のオクラの開花は夜から早朝の夜間で、昼頃には凋んでしまう。花の印象は可憐な少女に合わすにすこぶる相応しい。これは静止した水溜りか。映像は総てその水面の映像である。――秋葵の花――水面、揺れて――飛び越える少女の脚――水面、揺れて……
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鳳仙花なみだぐみたるふたつの眸
(「樹海」昭和21(1946)年12月号)
鳳仙花の接写から涙を溜めた女の双眸の組写真である。しづ子が写真や映画を撮っていたら、きっと素晴らしい映像を残してくれていたろうに……。
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蜻蛉の高ゆくひとつ廠をこゆ
(「樹海」昭和21(1946)年12月号)
「蜻蛉」は僕としては「せいれい」ではなく「とんぼう」と読みたい。「廠」は恐らく「工廠」で、旧陸海軍に所属し、その兵器・弾薬等を製造修理した軍需工場、所謂、砲兵工廠と思われる。これもしづ子のパースペクティヴの妙味が感じられる佳句である。