「俳句往来」昭和26(1951)年11月号から3句
「美濃へ」の標題で49句。句集『指環』の中核を形成する代表作群が並ぶ。底本には冒頭に川村氏の「すべて句集『指環』から再録」とあるのであるが、これは不審である。何故なら、『指環』の発刊は翌昭和二十七年一月一日であるからである。これは「に再録」の誤りではないかと思ったのだが、以下に見るように川村氏は本誌掲載句と『指環』掲載句とを校訂されており、その二箇所の注で「『指環』の元句は」と表現されており、更に掲げた一句「子を欲りぬ」については、「『指環』になし」とある。ないということは、この「俳句往来」の原稿には少なくともこの句が含まれており、句集『指環』と同一稿ではないといういうことになる。若しくは句集『指環』準備稿なるものが存在し、『指環』発刊直前の「俳句往来」本号にはその一部が示された、ところが実際の決定稿ではそこから「子を欲りぬ」の句が外された、ということではないか。
かくまでの氣持の老けやたんぽぽ黄
歸る歩やまづ火をおこすべしとのみ
以上は二句は『指環』では、
斯くまでの氣持の老けやたんぽぽ黄
歸る歩やまず火をおこすべしとのみ
である。後者は歴史的仮名遣ならば「まづ」が正しい。『指環』では、歴史的仮名遣と斬新な口語が激しく混在して使用されているが、一句の中ではほぼ統一されている。しづ子はこの句に、『指環』では、現代仮名遣・文語表現を採用したということになる(「氣」「歸」の正字化は私の仕儀である)。
子を欲りぬとは氣まぐれか夏の虹
本句は『指環』に所収ない。そしてこの「氣」はママで、僕の仕儀ではない。先の「かくまでの」句は底本では「氣持」は「気持」である。正字の観点から見ると、この49句には正字が殆ど使用されていない。はっきりしたものは「體」「縣」と、この「氣」だけである。「體」はしづ子の好きな字体であり、正字という意識は彼女にはない。「縣」は住所表示に長く使用されてきただけに、これも意識的な正字感覚はないはずだ。だとすれば、この句だけが「氣」と、はっきり正字使用を意識しているということになる。不思議である。この49句の選句は、実は我々の知らないつぎはぎされた(だから正字の本句が混在する)原『指環』稿なるものがあったことを示唆するものではないだろうか。
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