鈴木しづ子 三十一歳 昭和26(1951)年1月から6月の発表句から 7句
本記載を1月から6月に区切ったのは、この6月より、しづ子には多量の未発表句稿が存在するからである。一応、時系列を意識してしづ子の句を見たいと思っているので、ここに区切りを作った。
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月の夜の蹴られて水に沈む石
(「樹海」昭和26(1951)年1月号)
パースペクティヴと水面の波紋が孤独に美しい詠唱である。
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戰況や白き花在る枯れの中
(「俳句往来」昭和26(1951)年2月号)
「戰況」とは朝鮮戦争を指す。本句の作歌時期は投稿から考えて二か月程前に遡ると考えられるが、前年1950年10月には中国軍が参戦して戦況は泥沼化、11月、国連軍は10月に進攻制圧した平壌を放棄して38度線近くまで潰走を始め、中朝軍は12月5日に平壌を奪回、この年の1月4日にはソウルを再度奪回している。川村氏の年譜によればこの前年10月頃には恋人となったGI(米軍軍人の俗称で“government issue”(官給品)の略。潤沢な官給品を支給されたことによるとされる)と同棲を始めており、彼はこの5月に朝鮮に出兵しているから、しづ子にとってその「戰況」は切実であった。なお、この『俳句往来』の前号(1月号)にはしづ子をモデルにした柳澤湫二なる人物(「樹海」同人。本名不詳)の小説「なめくじ」が掲載されている。僕は未見であるが「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の291~292ページに、川村氏によって驚天動地のその内容が要約されている。要約でも扇情的で妙に粘着質の印象を持った作品であることを感じさせるが、先に川村氏が指摘し、僕も仮定した巨湫としづ子との秘かな関係をも匂わせる内容ではある。
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星凍てたり東京に棲む理由なし
山沿ひに小雪來るらあし此の縣のみ
曲りきて伊吹颪を流るるなり
花椿いまだに拔けぬ妻の癖
(「樹海」昭和26(1951)年3月号)
二年前の東京から岐阜への移住、ダンサーを生業としながら以後、同県内を転々とするに至ったしづ子の流転走馬灯のような一〇句から。――「曲りきて」「流るる」のはしづ子自身であることが、如何にも荒涼として哀しい。
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雪は紙片の如く白めりヒロポン缺く
(「樹海」昭和26(1951)年5月号)
これはしづ子のヤクではなく、恐らく恋人のGIのものではあるまいか。当時の読者はしかし、しづ子の「転落の詩集」をここで確信したに違いない。いや、それもしづ子の確信犯でもあろう――。
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花散り初むきのふ曉け方みたる夢
(「樹海」昭和26(1951)年6月号)
……しづさん……あなたの見たその夢……そっと聴かせて下さい……
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