第二次世界大戦後、パリの大通りを完全に停止させたのは、ピアフの葬儀の時だけだった――シャルル・アズナブール
もの心ついてから七歳になるまで、角膜炎で目が見えなかったピアフ。売春宿を営んでいた祖母の元で、幼い彼女は、多くの出来事をその見えない目で見て来た。視力が回復した彼女は、大道芸人である父と共に旅をする。その後、父親と衝突した彼女は、ひとりパリの郊外でストリート・シンガーの道を歩き始める。やがて彼女は、ナイトクラブのオーナーであるルイ・ルプレーに見出されて彼の店で唄うようになる。シャンソン歌手、ピアフの誕生である。
歌姫は四七歳の若さでこの世を去る。だが恋と酒とモルヒネに冒された彼女のそれまでの人生のために、カトリック教会のミサの執行が許されなかった。しかしピアフのバックアップによって、シャンソン歌手として成功したひとりであるシャルル・アズナブールは語っている。
「第二次世界大戦後、パリの大通りを完全に停止させたのは、ピアフの葬儀の時だけだった」
と。ピアフの歌は、しづ子の俳句のように彼女の人生そのままであった。人々は、ピアフの人生に自分を重ねて彼女の歌に聴き惚れた。大衆は彼女の自由な生き方に共感した。しづ子の俳句もシャンソンのように読まれたのだろう。
(川村蘭太「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」 新潮社2011年1月刊 より)
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――僕は本書を読みながら、この、僕も大好きな「感性のビブラート」シャルル・アズナブールのエディット・ピアフへの心の籠った絶賛のレクイエムの言葉を――ブログに書かずには居られない気に――なったのである……
……かのパリの時間を、哀悼の中で完全に静止させることの出来る芸術家は――やっぱり、僕がやっともの心つい頃にさえ、聴き惚れてしまった、あのピアフだけなのだ……