祖父藪野種雄選 啄木歌集
[やぶちゃん注:以下は、祖父藪野種雄の遺品である昭和七(一九三二)年紅玉同書店刊「啄木歌集」(「一握の砂」「悲しき玩具」所収)の中で、サイド・ラインが引かれたり、頭に〇や◎などの記号が附されてあるものを首巻から順に抽出したものである。底本のルビは一部の難訓を除き、排除した。]
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□「一握の砂」より
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
たはむれに母を背負ひて
そのあまり輕きに泣きて
三歩あゆまず
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
學校の圖書庫(としよぐら)の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず
神有りと言ひ張る友を
説きふせし
かの路傍(みちばた)の栗の樹の下(した)
先んじて戀のあまさと
かなしさを知りし我なり
先んじて老ゆ
人ごみの中をわけ來る
わが友の
むかしながらの太き杖かな
そのむかし秀才の名の高かりし
友牢にあり
秋のかぜ吹く
絲切れし紙鳶(たこ)のごとくに
若き日の心かろくも
とびさりしかな
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聽きにゆく
やまひある獸のごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし
二日前に山の繪見しが
今朝になりて
にはかに戀しふるさとの山
かにかくに澁民村は戀しかり
おもひでの山
おもひでの川
わが庭の白き躑躅を
薄月の夜に
折りゆきしことな忘れそ
霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の蟲こそすずろなりけれ
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え來れば
襟を正すも
ふるさとの土をわが踏めば
何がなしに足輕くなり
心重れり
三度ほど
汽車の窓よりながめたる町の名なども
したしかりけり
友われに飯を與へき
その友に背きし我の
性(さが)のかなしさ
あたらしき洋書の紙の
香をかぎて
一途に金を欲しと思ひしが
いくたびか死なむとしては
死なざりし
わが來しかたのをかしく悲し
呿呻(あくび)嚙み
夜汽車の窓に別れたる
別れが今は物足らぬかな
雨に濡れし夜汽車の窓に
映りたる
山間の町のともしびの色
雨つよく降る夜の汽車の
たえまなく雫流るる
窓硝子(まどガラス)かな
眞夜中の
倶知安(くちあん)驛に下りゆきし
女の鬢(びん)の古き痍(きず)あと
泣くがごと首ふるはせて
手の相を見せよといひし
易者もありき
いささかの錢借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな
あをじろき頰に涙を光らせて
死をば語りき
若き商人
子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
忘れ來し煙草を思ふ
ゆけどゆけど
山なほ遠き雪の野の汽車
何事も思ふことなく
日一日
汽車のひびきに心まかせぬ
あはれかの國のはてにて
酒のみき
かなしみの滓(をり)を啜るごとくに
よごれたる足袋穿く時の
氣味わるき思ひに似たる
思出もあり
かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど
君に似し姿を街に見る時の
こころ躍りを
あはれと思へ
かの聲を最(も)一度聽かば
すつきりと
胸や霽(は)れむと今朝も思へる
みじみと
物うち語る友もあれ
君のことなど語り出でなむ
死ぬまでに一度會はむと
言ひやらば
君もかすかにうなづくらむか
時として
君を思へば
安かりし心にはかに騷ぐかなしさ
わかれ來て年を重ねて
年ごとに戀しくなれる
君にしあるかな
古文書のなかに見いでし
よごれたる
吸取紙をなつかしむかな
春の街
見よげに書ける女名(をんなな)の
門札(かどふだ)などを讀みありくかな
かの旅の夜汽車の窓に
おもひたる
我がゆくすゑのかなしかりしかな
目をとぢて
口笛かすかに吹きてみぬ
寐られぬ夜の窓にもたれて
わが友は
今日も母なき子を負ひて
かの城址(しろあと)にさまよへるかな
夜おそく
つとめ先よりかへり來て
今死にしてふ兒を抱けるかな
死にし兒の
胸に注射の針を刺す
醫者の手もとにあつまる心
□「悲しき玩具」より
遊びに出て子供かへらず、
取り出して
走らせて見る玩具の機關車。
本を買ひたし、本を買ひたしと、
あてつけのつもりではなけれど、
妻に言ひてみる。
旅を思ふ夫の心!
叱り、泣く、妻子(つまこ)の心!
朝の食卓!
家を出て五町ばかりは、
用のある人のごとくに
歩いてみたれど――
うっとりと
本の插繪に眺め入り、
煙草の煙吹きかけてみる。
年明けてゆるめる心!
うっとりと
來し方をすべて忘れしごとし。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。
ぢりぢりと、
蠟燭の燃えつくるごとく、
夜となりたる大晦日かな。
何となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱りて眠る。
何故かうかとなさけなくなり、
弱い心を何度も叱り、
金かりに行く。
どうかかうか、今月も無事に暮らしたりと、
外に慾もなき
晦日の晩かな。