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2011/11/05

鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十六(一九五一)年十二月二十四日附句稿九十六句から二十三句

 現存する昭和二十六(一九五一)年最後の句稿である。

   *

 人の子の雪の日曜吾も遊ぶ

 雪合戰に額打たれし顰むるなく

 好きな子を敵に取られし雪合戰

 この體在學最後の年や雪合戰

 雪合戰の雪つけてきし幼な髮

 しばし待て雪にしめりし髮乾す間

 句稿の冒頭から「雪」「積雪」の語句が示され、「雪の縣道事故」「ラツセル車」が詠まれ、雪の詠まれぬ句は一句もない。その十六句目が「人の子の」の句であり、次の句から雪合戦連作が実に十五句、掲げた「雪合戰の」句まで続く。これは、ご覧の通り、岐阜のある大雪の日の知り合いの子らの雪合戦の嘱目吟に始まるのだが、その中間部、子らの雪合戦のフラッシュ・バックの映像が、何としづ子自身の少女期へと変容し始めるという不思議な連作である。子らの歓声のSEと雪玉のアップの句が続いて「好きな子を」の句の辺りから時間が巻き戻されている。次の「この體」は既に雪合戦をしている少女しづ子自身の映像である。「幼な髮」とあるが、これは「雪合戰」と「髮」のみが「幼な」い、しかし「體」は女である高等女学校「在學最後の年」の「雪合戰」の追憶である。休み時間の雪合戦から教室に戻った女子生徒は次の時間の、若き国語教師に目線で――「雪合戰の雪」に濡れてしまった「幼な髮」の「しめ」ってしまったこの黒「髮」を「乾す」少しの「間」だけ「しばし待」って――と媚を送っているのではあるまいか? 私の雪合戦句群の解釈は牽強付会か? そうかな? この「しばし待て」に続く以下の六句をご覧あれ。

 師を好きて好きて卒業したりしこと

 戀初めの國文の師よ雪は葉に

 雪は葉に高師卒へたる師の講義

 雪の椿折りて靑年少女の戀

 戀初めの戀失せしめし卒業せり

 雪は佳し宗教教育享けしき體

 「雪は佳し」の次からは現在時制に戻っている――その二句目には「年了るナイトクラブは雪の中」とある――しづ子は昭和十三(一九三八)年十九歳で私立淑徳高等女学校を卒業している――三十二歳の「雪の中」の「ナイトクラブ」の、ダンサーを身過ぎとする疲れた面持ちの女が回想する――十九の蒼き春の雪の思い出――

   *

 吹雪く玻璃たがひ背ける黑人白人

 雪を來し色魔の如き唇のうるみ

 米兵たちを冷徹に観察するしづ子の眼である。

   *

 明日の體はあるひは轟く雪崩の下

 聞きしこと屍美しき雪の中

 死果たさず見返りみかへり雪を來しこと

 現は死ねない記憶の雪崩背に轟き

 こころの體失せしのちにも雪かがよふ

 以上は連続する五句。しづ子と「雪崩」は『樹海』昭和二十三(一九四八)年五月号に載る「雪崩」句群以来、しづ子の好きな詩語であり、そこには秘めたエロス(生=性)のエクスタシーの「記憶」が内包されているものだが、それをここではタナトス(死)のそれに変換して、雪崩自殺願望とその未遂という稀有のエピソードに物語化してゆく。……因みに、雪崩自殺なぞはそう簡単に出来るものではないのです……雪山の遭難でも雪解け頃に見つかればいいですがね……そうでなければ動物に腐肉を裂かれ……そりゃあ見るも無残な……断裂した遺体を晒すことになりますよ、おやめなさい、しづさん……

   *

 傲然と雪墜りケリーとなら死ねる

 この句は「こころの體」の次の句であるが、「ケリー」の名を掲げていることと、前のシークエンスの自殺願望のエピソードに一区切りがついての「となら死ねる」と口をついて出た感懐と捉え、一句独立させた。この句稿では「ケリー」の名を詠み込んだものはこの一句だけである。そうして――そうして彼女がここでケリーを詠み込んだのには――ダンサー――舞姫――踊り巫女としてのしづ子の超自然的な予感が働いたのではなかったかと私は思うのだ――彼女は――この昭和二十六(一九五一)年十二月二十四日から昭和二十七(一九五二)年一月二日(次の大量句稿の日附)までの十日間の間に――ケリー・クラッケの訃報を受け取ったのではなかったろうか?――次の大量句稿の冒頭は彼の訃報から始まるからである――

   *

 そは抗ひ共産ごころすこし湧く

 最後の方から三句。「共産ごころ」とは面白い語彙だ。しづ子の型に囚われない句屑蒐集は健在である。因みに、昭和二十六(一九五一)年十月に日本共産党は第五回全国協議会に於いて「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成し得ると考えるのは間違いである」との「五十一年綱領」を採択し、軍事闘争路線に基づく組織整備を進めた年である。しづ子の言う「共産ごころ」は、そのようなものとして解釈した時、俄然、しづ子にふさわしい句となるのである。

   *

 雪の昏れ燈さずにをく好みけり

 「雪の昏れ」も一句を映像に撮りたい願望を刺激する言いっぱなしの主観句で、しづ子らしい。しづ子の句はしづ子というピアノ線の上で危うい琴線を奏でるものである。彼女の真似をしても、下手なヴァイオリンの耐え切れぬ騒音になるばかりである。

   *

 胸張ればいつさいは空(くう)雪霽るる

 「胸張れば」の句は句稿の最終句である。もし、ケリーの訃報がこの句稿やその前の十二月十九日附句稿以前に齎されていたとしたら――私はしづ子にこれだけ膨大な句稿を巨湫に送るエネルギーはなかったと思う。私はしづ子は優れたステップをドゥエンデによって生み出す霊力は持っていても、感情を抑制して巧妙な自己韜晦を演ずることなどは、いっかな出来ない人間だと思う。ケリーの死を慟哭一声も挙げずに、翌年の新年の句稿でそれを溜めておいて「演ずる」ことが出来るような卑劣な女ではない。だから私はケリー・クラッケの訃報をしづ子が受け取ったのは、この昭和二十六(一九五一)年十二月二十四日から元日までの九日間(訃報の当日に句稿を書く余裕は私ならないから日附である二日は外す)でなくてはならないと考えるのである(但し、この句稿最後に脱落があり、そこにケリー訃報の句があった可能性を排除は出来ない。しかし、新年の句稿冒頭の慟哭句は二番煎じとは私には思われないのである)。以前の鈴木しづ子に関わる記載ではこのケリーの訃報の報知やその遺品のしづ子への送付を昭和二十六年中としているものが多く、それに対する私の以前からの疑義にこだわって延々と述べてきた。――しかし実は、今気がついたのだが、既にそれには片がついているようである。最新のしづ子の年譜である川村蘭太氏「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の巻末の略年譜では、はっきりと年譜最後の昭和二十七(一九五二)年の欄の最初に、『元日、三重の伊勢神宮へ二年参り。帰宅し恋人のGIの訃報を受け取る。』と記されていたからである。これに気付かずに無駄なお喋りをしてきた私自身の愚かさを嘆くと同時に――いや、しづ子に「演技」など、やっぱりなかったのだ――という深い安堵が落ちた――私はそれだけで無性に嬉しかった――

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