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« 鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年二月二十六日附句稿百七十三句より 十二句 | トップページ | 累計アクセス数 329,221 »

2011/11/14

鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年二月二十六日附句稿百九十七句より 三句

 吾が忌みしよべの秋蛾のあほむき死す

 私は如何なる海産無脊椎動物をも忌まわしく思わない代わりに、殆どの陸生昆虫類を忌避する。しかし、しづ子と同じ程度には、彼らの死に哀れを感じる点に於いて、しづ子と感応するものである。

   *

 いまぞ識る歳時記による虎※笛

 底本では「※」=「木」+「尤」であるが、このような漢字はない。これは「虎落笛」の誤字であろう。この句は「虎落笛」を結局、使わないしづ子がいて、それ故に「歳時記による」詩語が無効であることを、しづ子は言っているのである。歳時記を『俳句の病い』として一番忌まわしく思う人間である私が、如何にもな歳時記風に「虎落笛」を書いてみようと思う。私は歳時記なるものがあるとすれば、それぞれの個人の歳時記を、自分自身のみが納得する歳時記を創るべきだと思っている。以下の説明の後半部は、そんな「虎落笛」の歳時記を目指してみた。にしても――虎落笛の名句は少ないね――
〇虎落笛 〔読み〕もがりぶえ 〔季節〕仲冬を主に三冬(十二月を主に十一月から一月の期間)
冬の寒風が竹の切り株・柵・竹垣及び建物や戸板・窓、現代なら電柱・電線・看板などに激しく吹き当たって時に高く時に低くヒューヒュー、蕭々と鳴ることを言う。物理学的にはエオルス音《Aeolian Tone》と呼び、主に柱状物体の風下左右両側に、カルマン渦という逆向きの渦風がつぎつぎと発生しては離れていく、その際の円柱表面での振動が空気中を伝わって音となったものを言う。鞭の音もこれである。「エオルス」はギリシャ神話の風の神の名。「もがる」の語源は不詳。一説に「刺(とげ)」を意味する「棘(いが)」の動詞化した「いがる」が「んがる」「むがる」「もがる」と転訛したとする説や、幼児が欲しいものをねだって駄々を捏ねて泣き叫ぶ様子を形容したものに由来という説があるようである。私はてっきり貴人の遺体を一定期間保存して再生を図る「殯(もがり)」を語源とするのかと思いきや、無縁であるようだ(こちらは「喪上がり」が語源に仮定されている)。「もがり」「もがる」という古語の動詞は「虎落る」以外に「強請る」などとも書き、①異議申し立てをする、逆らう。②言い掛かりをつけて金品を巻き上げる、所謂、ゆすりたかりの行為を言うが、丁度、唇を尖らして笛を鳴らすようにする嘯く動作が、不平・不満を述べることに通ずることによるものであろう。さすれば「もがりぶえ」という自然現象への呼称はそれよりも後の成立であると考えられる。「虎落」は、本来は軍営にあって竹を組んで柵とした矢来としたものを言い、中国で、通常の木ではなく竹で組んだそれは虎もよじ登れないことに基づく虎避けの柵、従って当て字である。後には竹を立て並べた紺屋などの物干しをも指すようになった。小学校五年生の頃、TBSで昭和四十二(一九六七)年十月十七日~翌一九六八年一月九日の火曜夜九時から九時三十分に放映されていた「木下恵介アワー」の江原真二郎のドラマ「もがり笛」は、もうすっかりストーリーを忘れたものの、各回の最後にもがり笛を読み込んだ俳句か和歌がテロップとともに示されていたのを覚えている。それが僕の「虎落笛」の初見だった。僕の年齢では早い方だろう。亡き母も私も好きなドラマだった。ドラマ様々だ。その後のこと、時代劇の「子連れ狼」で、名人が相手の首筋の動脈を上手く斬った際、血を吹き出しながら音が鳴る、それを虎落笛と呼ぶ、という話柄があった。果してその呼称が江戸期の事実であったかどうかは知らない。知らないが、私は授業でしばしばそれを語った程には、危ない気に入った話ではあった。音韻のおどろおどろしさでは、いい詩語ではあるが、私は使ったことはない。

  虎落笛眠に落ちる子供かな      高浜虚子
  虎落笛子供遊べる声消えて      高浜虚子
  一汁一菜垣根が奏づ虎落笛     中村草田男
  夕づつの光りぬ呆きぬ虎落笛    阿波野青畝
  モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん   檀一雄
  いじわるな叔母逝き母に虎落笛    金子兜太
  ふたたびを俺達は死ぬ虎落笛    鈴木六林男
  もがり笛よがりのこゑもまぎれけり  加藤郁乎
  もがり笛風の又三郎やあーい    上田五千石
  樹には樹の哀しみのありもがり笛   木下夕爾

   *

 その一つややこしくして冬の季語

 しづ子には歳時記がいらない。ということは季語がいらないということである。しづ子は季語とされる詩語を季語として用いていない。しづ子の季語はしづ子の感性が独自に、その句の中でのみ規定される。そもそも、いみじくもこの世に存在するあらゆる言葉は季詞ならざるはなし、と言ったのは芭蕉である。因みに私も、季語を意識したことはない。

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