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2011/11/05

鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十六(一九五一)年十二月十九日附句稿百五句から二十一句

 幸福な子の手の中の凧の糸

 人の子のそれぞれ在るや柿赤く

 人の子のことばきたなく柿熟れたり

 最初の句は「幸福な子」が説明的で陳腐であると酷評されるところであろうが、この句の眼目は「子の手の中の凧の糸」をマイクロ・カメラで捉える、そばの「それぞれ在る」ところの凧を持てぬ「ことばきたな」い「人の子の」「貧しい子」、そして「不幸な子」であった、「不幸な子」あり続けているしづ子自身にある。則ち、「幸福な子」ならざる己に繋がる外延の「不幸な子」にこそ、この「凧の糸」は遠心的に結びついているのである。

   *

 雪踏むや師い在す限りの體と識るべく

 これが最早この大量句稿が「投句稿」ではなく、巨湫へ向けての――おかしな言い方ながら、一方通行の交換日記――であることをこの句が証明しているように思われる。

   *

 春寒くリボン吹かるる不幸な子

 最初に掲げた「幸福な」をこの句に並べれば、それで憂鬱は完成する――

   *

 そは見果てぬ夢か煖爐にくべる薪

 タルコフスキイの「鏡」の、あのシーンではないか!――しづ子に「鏡」を見せたかった!――

   *

 堕胎兒が三歳となるああ四月の■の箸

 下五の「■」は川村氏の判読不能の字を示す。しかし、二〇〇九年八月河出書房新社刊の『KAWADE道の手帖』の「鈴木しづ子」に所収する底本の作者川村蘭太氏の「鈴木しづ子追跡」では、氏はこの句を、

 堕胎児が三歳となるああ正月の繕の箸

と完全表記されている(底本表記に従った)。「繕の箸」というのは如何にもおかしいから、これは「膳の箸」で、そうなると「三歳となる」と「ああ」という感慨からは特別な料理の「膳」、数え年で年をとる「正月」のお節料理の「膳」が如何にも相応しくなる。従って私は、この句は、

 堕胎兒が三歳となるああ正月の膳の箸

がしづ子の決定稿であったのではないかと推測する。昭和二十六(一九五一)年八月二十四日附句稿に現れる秘かなしづ子の堕胎連作の注で私は、「関」姓の夫との離婚が(但し、少なくともこの堕胎事件はしづ子一人の秘密であって、少なくとも夫側からの離婚の直接理由であるようには読めない)、昭和二十四(一九四九)年三月であったと考えた。堕胎がそれよりもやや遡るとして、出産予定が昭和二十五年の初春と仮定すれば、この句が書かれたのが投句と変わらぬ実際の昭和二十六年の十二月であったなら(句稿冒頭から冬の句が続くのでそれで間違いないと思う)、翌昭和二十七年の正月には、この子は産まれていれば確かに数えで三歳となっていたことになる。この句によってしづ子の秘かな悲しい、あの堕胎の連句は事実を詠んだものであったと考えてよいと思う。

   *

   ケリーを憶ふ二句

 一瞬や麻藥に狎れし眼と認む

 霧深き中すでに汝は病者の眼

 横濱に人と訣れし濃霧かな

 離るるや港よこはま濃霧き街

 さよならケリーそして近づく降誕祭

   +

 火絶え絶えやるせなきものケリーの眼

 頭振りて記憶の眼をば消さんずる

 爐火さむざむ變らぬなさけつづくべし

   ++

 見えざれど濃霧たちたる洋中とぞ

 濃霧き中見返ることぞ忘るるな

 吾が名呼はば洋上の霧うすらぐべし

「ケリーを憶ふ二句」という標題句群から。この年の八月に帰国した米黒人兵の恋人の名が初めて句に読み込まれる。次々回の句稿では「ケリー・クラツケ」というフル・ネームで登場する(但し、彼の訃報で)のであるが、川村氏は、この名は本名とは考えにくいという結論を示されている。ネイティヴの方も加わった考証で、川村氏はこれによって他の本文箇所ではしづ子の恋人を単にGIと呼称されている。詳細は川村氏の本文二百六十八ページをお読み戴きたい。「二句」というのは「ケリー」の名を詠み込んだ句が二句ということを意味しており、実際には私の判断で以上の十一句を「ケリーを憶ふ」と詠んですべて採録した(「+」の間に五句、「++」の間に一句あるが私にはケリーの映像が見えないので排除した)。「離るるや」と「濃霧き中」の「濃霧き」は、二箇所で錯字をすることは考えにくいから、これで「きりこき」と読ませているものと考えられる。「吾が名呼はば」の「呼はば」はママ。

   *

 おさげ髮の鏡の吾や寂しき貌

 これは風邪を引いたしづ子が、病床で五月蠅い髪を久しぶりにお下げに結った折りの句であるが、私などは三十二歳の「おさげ髮」のしづ子が「鏡の」中に立って、そこに写る「おさげ髮の」「寂しき貌」の十代の「吾」が姿が映っているという映像を思わずしてしまう――逆転したドリアン・グレイ――この後の句稿末尾の方に配された鏡二句(「破れ鏡とぞ」は句稿最終句)を示して、この句稿の採録を終わる。

 秋風や破片の鏡棄てがたく

 破れ鏡とぞ人の言もて譬ふれば

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