鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月二十四日附句稿百十句より 三句
三月ある日句數二百と詠ひつつ
川村氏も指摘されているが、しづ子は矢数俳諧を意識しているようには見える。見えるが――しかし、やっぱり、いいや、そうじゃない! 西鶴のやらかしたそれは愚劣な橋下と同じく俳諧の政治的独擅場へ躍り出るためでしかなかったが、しづ子のそれは、師松村巨湫への公案の機銃掃射としてであって、何らの名声が意識されていない点に於いて、矢数俳諧を超えて、我々を迎撃するのだ。尾崎放哉も井原西鶴も顔色無し、だ。何故なら、それは最早、消閑の具としての俳句を超越しているからである。西欧的近代的個人? 糞喰らえ! このしづ子の糞は、鋼鉄のカチ糞として我々の脳天を――確実に一気に――打ち破る!
*
囀りや床の面に撒く石鹼水
私はフロイトを小学生の時から愛読したとんでもない汎性論の影響下にあった人間である。例えばこれを精神分析学的に解釈したい気持ちを抑えられないと同時に、しかし今、その分析をも総て私は無効にするであろうことも確実である。而してこの映像はタルコフスキイのワン・シークエンスである。タルコフスキイもフロイトを認めない。私もこの年になって、フロイトよりもユング、いや、ユングなんぞの怪しげな似非神秘主義も超えて芥川龍之介の「杜子春」の鐵冠子に惹かれていると言おう――「さえづりやゆかのもにまくせつけんすゐ」――これはもう、タルコフスキイの撮った神聖な映像――そのものではないか――
*
槻芽立つ師とかよはするふみぞもち
「槻(つき)」は欅を指し、しづ子の大好きな詩語である。この句こそ、多量の修行の如き句稿の確信犯の真理を現前させている――と私は思う。
« 鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月二十日附句稿百十句より 六十三句 | トップページ | 大谷亘先生悼 »

