鈴木しづ子 三十二歳 「樹海」昭和27(1952)年2月号の発表句全7句
雪粉粉いのち粗末に醉ひにけり
粉雪舞ふ晝の褥を延べにけり
寒の夜やくれないうすき造花の葩
ほつそりと佇つや野分の草の中
山の子が山駈けめぐる秋は好し
佇つ前を貨車が過ぎゆく鰯雲
雪のあとすこし雪つく木木の膚
今までにない不思議な現象がここにある。それはこれが前の『樹海』一月号に続いて昭和二十六(一九五一)年十一月二十三日附句稿四十五句から再び採句されたものだからである。実は次の句稿は六日後の十一月二十九日附句稿が現存するが、ここからこの二月号には全く採られていない。勿論、これは『樹海』の編集が二箇月前の十五日に締切を迎えるものであるために(「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」二五八ページにある川村氏の調査によるが、実際には十六日以降の句稿でも二箇月後の号に載っているものもあり、その辺は臨機応変であったようである)、後者の句稿が間に合わなかったという物理的理由によるものであることは容易に想定出来るのであるが、大量投句を始めた几帳面なしづ子がこの編集のリミットを知らなかったはずはなく、このような遅れた投句をせざるを得なかったしづ子側の状況を推し量るべきではなかろうか。それは母綾子の新たな墓の建立ではなかったか。実際、十一月二十三日附句稿の一部には「母の墓建てむと」という句稿では例外的に標題が附く。
――にしても――僕は不思議な静謐感をこの7句に感じる。「造花の葩」(「葩」は「花」である)のキッチュな原色だけを着色したモノクロ画面が前後左右にマルチで映し出される。僕はこの七句の一句さえも昭和26(1951)年11月23日附句稿45句からは琴線句として選ばなかったのに――しかし、巨湫によって再度選ばれたこの七句は――撰せられてソリッドに並べられた途端に――不思議な輝きを発しているではないか。これも『俳句の病い』、否、『俳句の魔法』であろう――僕はこれらの句をタイピングしながら、本当に不思議の感に打たれているのである――
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僕はこの「鈴木しづ子」の琴線句をすべて手打ちしている。今やOCRで読み取って自動で正字変換することも出来るが、底本の川村氏に、何より作者しづ子自身に敬意を表して、すべてタイピングして、一字一字正字にする可否を僕なりに検証していることをお断りしておく。悲しいかな、世の中にはそうした見当違いの批判をしてくる自称「廃人」(おっと失礼)俳人がいるからである。