鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年二月七日附句稿百六句より 七句
本句稿には豊川稲荷・豊橋・富士(愛知県側からの眺望)・知多の羈旅吟を多く含むが、残念ながらそれらに佳句は少ない。
*
みづ色の春の雪舞ふ衣なりき
句稿巻頭。昭和二七一月二十六日松村巨湫宛鈴木しづ子葉書。『お葉書有難うございました。お目にかかるのを楽しみにしてをります。水色の外套を着てホームの中程にをりますからさがして下さい。お氣をつけて行ってらしゃいませ。 二十六日 巨湫先生 しづ子』(川村蘭太「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」三百三十七ページ所収)。先に記した昭和二十七(一九五二)年二月四日の岐阜駅での師巨湫との再会の句である。
*
春冷えの影長くして壺円し
水仙ひらくひたすら円き壺の中
銅版画のような印象を与える、清冽な陰影と質感である。
*
莫迦莫迦し蟬放たしむ指のひま
理屈には倦みし蟬ごゑじつと聽く
うち伏せばみなそこ浸る蟬のこゑ
蟬のこゑ木曾のみなそこ透りけり
蟬のこゑおのがいやはて想ひけり
私は蟬の句が好きなのである。
« 鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年二月五日附句稿百五句より (3) 四句 | トップページ | 鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年二月十二日附句稿九十九句より (1) 五句 »