鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月十一日附句稿百六句より(4) 三句
それのみの鷄頭起つや茜中
鷄頭花憎しみさへも失せゆけり
鷄頭花父を一人の男とも
父へのアンビバレントな感覚が変容してゆく。川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」によれば、しづ子は父俊雄にとって自慢の娘であり、顔つきや性格的にもしづ子は父と似ていると言う。青春期のしづ子は、そうした父を寧ろ自慢にしていたらしい。また、その理想に応えるべく、父の命に従って進路を選んでもいる。しかし、先に述べた通り、その後、ワンマンでさんざん母綾子を苦しめた父俊雄が、昭和二十三(一九四八)年に母綾子の生前から関係があった女性と再婚したことに対して激しい嫌悪感情を持つようになった。それがここに至って、何を理由とするか不明であるが(もしかするとそれはしづ子にも不明であったのかも知れない。この「鶏頭」の実景にこそ、その隠された深層心理が潜んでいるとも言える)、大きな変化を示している。この三連句の鶏頭の句を並べた時、父への「憎しみさへも失せゆけ」る感覚を経て、『所詮、父の性格は変わらない、私と同じだもの』といった諦めの感情と、幾多のすれ違ってきた愛憎の異性らをそこに並べた時、しづ子は「父を一人の男とも」捉えることが出来るようになったのである。そこでしづ子は、この父との関係に、毅然とした決断力に富んだ父と同様、きっぱりと敢然と一つのケリをつけているのである。
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