鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月十二日附句稿百十句より 四句
髮編みて三月ある日家を出づ
しづ子は二十一歳の昭和十五(一九四〇)年、深川の家を出、家族と離れて蒲田の矢口にあった岡本工作機械製作所設計課トレース工として入社、その武蔵新田にあった社員寮に入っている(川村氏の調査による)。恐らくこの句はその折りの回想句であろう。また、川村氏はこの前年に後に戦死する許嫁と出逢ったものと推定されている。しづ子の、ノラのような果断な性格を髣髴とさせる句である。
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外す歩や土の面のいぬふぐり
本句稿では、全体に亙っていぬふぐりを詠んだ句が多い。その中で、私の琴線に触れたのは、この一句。
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白梅や衣觸れの鋭き乳の先
「鋭き」は「とき」と読ませているのであろう。私ならしづ子の代表句に採りたくなる句である。
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春日中牛にしたはれゐたりけり
しづ子の句には、かなり頻繁に旅中吟が現れる。「しづ子」を伝説化させる人々は、そうしたこのスナップのような、どこかほっとして、笑顔で佇んでいるしづ子を決して欲しないのだ。それは師巨湫を含めてである。彼らは総てが現実のしづ子を抹殺した共犯者である。伝説の「しづ子」像をひたすら堅固にするためにのみ句を選び、そうして堕天使のモチーフに更なる虚構の絵具を塗りたくってゆくのだ。それが、しづ子の不幸であった。