鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月二十四日附句稿二百十九句より(2) 十句
目つむれば琴の六段指はじき
琴憶ふ雪つむ宵に在りにけり
花桃や琴絲支ふ指ぞ伸べ
琴爪や彈きやみ温みかよひつつ
琴千鳥彈きやみ明りせつなけれ
歳月は還るよしなし琴の爪
雪の日の琴絲支ふ指の先
琴絲支ふ指ぞ切るほどむかし琴
經だつれど身に添ふわざぞ琴六段
琴句群二つを接合した。しづ子は若き日に琴を習い、得意としたことは先の昭和二十六(一九五一)年九月二十八日附句稿百五句の冒頭四句からも明らかである。箏曲にあって六段(伝八橋検校作)は、六段に始まり六段に終わると言われる基礎にして完成の域をも示す重要な曲である。二世吉沢検校作の千鳥の曲は六段に並ぶ古箏曲の名曲とされ、古雅と斬新な内容を併せ持つエポック・メーキングな名作である。尚且つ、通常は歌を歌い、尺八と合奏する曲である(妻に聞いた。私の妻は四歳から琴を弾くプロである)。ここでのしづ子の謂いには、ダンサーとなった今でも、琴を弾ける自分に対する強い矜持があることが窺がわれる。しかもこれは回想吟とは思われず、直近の何かの機会に琴を弾いているのである。この場が私には興味をそそるのである。因みにこの冒頭々の前には、
早春の奈良線に人あふれけり
とある。これがこれらの琴の句と無縁ではないように私には思われる。「千鳥」は普通、独奏しないのである。しづ子と奈良と琴――そして尺八の伴奏者――ここに私はしづ子の失踪の謎を解く鍵が隠されているようにも思えるのである。
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