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2011/11/04

鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十六(一九五一)年十一月二十九日附句稿百三句から二十一句

 この大量句稿も不思議な現象を見せている。ここから『樹海』二月号には全く採られていないということは前に述べたが、実は、それどころではなく、この句稿からは『樹海』の如何なる号にも一句も採られていないのである。これはどういうことか? 私はこの百三句を総てボツとした巨湫を想定出来ないわけではない。しかし――総ては謎である――まずは「母の墓建てむと」の標題の手前までの句から七句採る。

 みなそこは冬のはじめの草と石

 冬枯れの崖くだりゆく足場かな

 冬雲や自惚れとそをいふべきか

 花槐歌人なれども嫌ふ叔母

 醉漢や雪の片々眼にとらへ

 雪粉粉麻藥に狂ふ漢の眼

 一瞬や殺意めきたる薔薇紅し

 雪はげし汝れに言ふべきことは死ね

 最初の二句は写生句であるが、しかし、やはりしず子の心象風景が、そこにオーバー・ラップする。水底には草と石が溺死している。水底ははしづ子の冥府である。冬枯れの崖の下降の足場のぐらつきは、そのまましづ子人生の転落の危うさを象徴する。その心象風景が次の「冬雲」に投影され、そこでは既に写生を失って「露悪的な自惚れ」のしづ子の内的な虚空を描き出している。
 「花槐」に登場する叔母はアララギ派の歌人であった鈴木朝子である。川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」のしづ子の評伝部分は、このしづ子の父敏雄の妹の歌集や叙述を主軸にして展開している。特にしづ子の少女期から青年期にかけては、この朝子との関係が謎めいた鈴木しづ子の心理を推定し得る唯一の第一級資料となっている。詳しくは当該書をお読みあれ。
 「雪粉粉」直前の「酔漢や」に「雪の片々眼にとらへ」の描写が、この酔漢が黒人であることを暗に示しているように思われる。米兵相手のダンス・ホールのダンサーだった彼女のリアル・タイムの実景であろうが、それはアメリカへ帰ってしまった薬に冒された黒人兵の恋人の回想へと直結している。
 「一瞬」「殺意」「めきたる」「薔薇」の語の選びと、自動描法(オートマチスム)めいた接合がいい。
 「雪はげし」またしても橋本多佳子への確信犯句である。伊東静雄の「水中花」(昭和十二(一九三七)年作)のインスパイアでもある。しづさん、美味しいところばかり、ちょっと贅沢ですぞ――

   *

 以下、「母の墓建てむと」の標題以降、句稿最後までから十四句。

 此の金や不淨ならざる枯れ簫々

 犬の眼に唯一瞬の野火映る

 ここは死の斷崖という冬の月

 秋の蛾の人の如くに玻璃を打つ

 どこからか昨夜の秋蛾のきたりけり

 二夜來ていのちをはりし秋蛾かな

 秋の蛾に玻璃は閉ぢられゐたるまま

 蘆は枯れ言はずに濟ます事と事

 冬田中二三樹が立つ墓どころ

 慾情すればもつそり起きる阿片患者のぎらつく汗

 木の芽たくまし國際結婚興味なく

 雪崩の記憶戀變へるたび好き詩生れ

 狂戀の琴の師匠や花ひひらぎ

 ひひらぎや戀に狂へど巧む藝

 渦なせど冬のみなそこ何も無し

 「此の金や」には、伝説の「しづ子」を否定するしづ子の姿がある。彼女はあくまでダンサーであり、娼婦ではない、矜持を我々はこの句に見なくてはならない。
 「犬の眼に」森山大道の画質の荒く、それでいてエッジの鋭いモノクロ写真を見るようである。しづ子は接写の妙を弁えた鬼才である。
 「死の斷崖という」場所は随所にあろう。しかしこのしづ子が立つのは何処でもない彼女心象の中の「死の斷崖」である。そこに心の臓を貫くような尖った凍てた「冬の月」が永遠に掛かっている――。
 「秋蛾」の連句はうまい、これは橋本多佳子の例の『紅絲』の中にある「秋蛾」という標題句群を意識しているのかも知れないが、多佳子の「秋蛾」が「沼水に捨てし秋蛾のそれぞれ浮く」というクールな突き離し一句にのみ現れるのに対して、ホラー映画のように霊的な秋蛾を四カットで撮りきったしづ子の手腕は尋常な技ではない――この蛾は蛇笏が芥川龍之介の魂を「秋の螢」になぞらえたように、しづ子の愛する死者たちの魂である――
 「冬田中」は単なる嘱目吟にも見えるが、遠く標題「母の墓建てむと」の句と読む。
 「慾情すれば」の「阿片患者」は実景ではなく、大陸の清末の歴史的夢想句のように私には読める。勿論、そこには、この八月に朝鮮戦争から戻った薬中となり果てた恋人をダブらせて、ではあるが。いずれにせよ、どぎつい「しづ子」の伝説の強化剤の一句ではある。
 「木の芽たくまし」を読むと、後日、しづ子がアメリカに亡き恋人の面影を追って行き、そのまま失踪したという伝説は信じ難いという気が私にはしている。現実のしづ子は完全な自暴自棄に投身するような弱い女ではない。打ち砕かれ切り倒され焼かれても「たくまし」く「木の芽」を吹く女である。
  「雪崩の記憶」は前掲した『樹海』昭和二十三(一九四八)年五月号の「雪崩」句群に響き合う句である。
 「狂戀の琴の師匠や花ひひらぎ」と「ひひらぎや戀に狂へど巧む藝」によって、先に掲げた昭和二十六(一九五一)年九月二十八日附句稿百五句の中の、「彈き初めの翏を競へり戀きそふ」と「翏と戀競ひしことぞ掌の胡桃」が、

彈き初めの琴を競へり戀きそふ

琴と戀競ひしことぞ掌の胡桃

であるという確信を私は強く持つ。
 私はこの句稿の抄出で第一句に、「みなそこは冬のはじめの草と石」を採った。それにこの、句稿の最後から三番目にある句を並べて見よう。

 みなそこは冬のはじめの草と石

 渦なせど冬のみなそこ何も無し

――初冬の遺骸の草と石の映像は――タルコフスキイの「ストーカー」の水底の移動撮影のように動きながら――真冬には何もかもがなくなってゆくのである――

本記載より、将来のHP版への一括記載を想定して「僕」を「私」にし、標記の細部(縦書に対応させるための年号の漢数字化)などで今までとは記載方法を変えることとした。統一が崩れるのは悪しからず御了承頂きたい。

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