鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年二月十二日附句稿九十九句より (2) 師巨湫刹那邂逅句群 二十一句
先に述べたが繰り返す。昭和二十七(一九五二)年二月四日午前零時、しづ子は岐阜駅で師巨湫と数分間の再会を果たしている。それは句集『指環』出版記念会出席の確認を巨湫がしづ子からとりつけるためのものだったとされている。しかし川村氏はこの束の間の邂逅にこそ、しづ子と巨湫の秘密が隠れており、しづ子の永遠の失踪の序曲の開始を意味する調弦があると推理されている。その文章の緻密さと冴えは、是非とも原書をお読みあれ。以下、その謎の師との刹那の邂逅を詠じたと私が判断する句稿末尾の句群、二十一句を総て掲げる。なお、しづ子と巨湫のこの再会は、巨湫の『樹海』昭和二十七年三月号の「内外抄」に載せた行動記録によれば『見違へる程きれいになつたしづ子と一分間ばかり逢った』とあり、川村氏は当時の時刻表を精査し、巨湫の乗った「銀河」の岐阜駅着が〇時十五分、〇時十七発で、正味二分間であったことを示しておられる。
通りまする師にまみゆべし驛霙る
如月の終車で着きし星きらめく
待つひまのをりをり雪を散らす穹
しろじろとミルクとかれし雪夜なり
みじろがず寒さ耐えしむ瞼うち
胸ぬちの貨車が過ぎゆく寒さかな
三たびほど雪夜の汽車を見過せり
星霽れの列車到りて止まりけり
雪が散るむかふの穹に星在りぬ
如月の星のきらめきまみえけり
窓に倚り星の明りに人さがす
雪つけど觸るるべからず御師の眉
再會を約す二月の星なりけり
雪の夜の御手に觸れたる握手かな
御手はづす如月の星きらめけり
距てゆく雪の明り貌とみし
如月を夜更けて歸る星在らぬ
間道を車驅けしむ霜夜の燈
い寐やらぬ一夜あかつき寒みけり
い寐やらぬ一夜霜の曉けにけり
俤は霜と白みて曉けにけり
――冒頭、師を待つしづ子、七句――国鉄岐阜駅。――「水色の外套を着てホームの中程に」師を待つしづ子。――霙が雪に変わる。――
――刹那の師との再会そして慌ただしい別れ、七句……一時、雪がやんだ……空の一角に星が見える――列車がゆっくりと入ってきて止まる……もう一度、見上げよう……雪が散る……でも……そう、確かに……私にはあの星が見える……あの「むかふの穹に」あの星は……在る……その「如月の星のきらめき」の中……私はこれから愛する、あの師と「まみえ」る……「窓に倚」って……あの「星の明りに」あの「人さがす」……先生……先生の眉に雪がついてる……でも「觸」れてはいけないの……そして……私は私の……秘密の覚悟を先生に告げた……そうして……そうして句集『指環』出版記念会の「再會を約」して……二月の私と先生……二人だけの秘密のあの星の下で……雪の夜……最後の握手だ……先生の暖かい手……いつまでも握っていたい手……でも、これが最後……握った手を「はづ」した……これもあの宿命の「如月の星」の「きらめ」く下のこと……
――別れての余韻、六句……暗闇へ消えてゆく汽車のテール・ランプ……その「雪の明り」の中に……先生の「貌」が「俤」となって浮かんだ……「如月を夜更けて歸る」私には、もうさっきの……あの「星」は……ない……もう、すっかり終わってしまった……それは……私が望んだ終わりの曲……「間道を車驅け」らせる……「霜夜の燈」が走馬灯のように背後へと消え去ってゆく……以前の私に私がさよならするように……帰宅して……「寐」むれぬ「一夜」「あかつき」が来た……とても……とても寒い……私の新しい夜「曉け」が……それは先生の「俤」をホワイト・アウトする……びっしりと強く真っ白に降り敷いた「霜の曉け」だった……
私はこの句群に現れる星を実際の星として見ていない。私はこの星を、『樹海』昭和二十五(一九五〇)年十一月号に載った、
明星に思ひ返せどまがふなし
の星であり、この星は、先に示した師巨湫との秘密の換喩であると感じている。
しかし、実際にしづ子は一瞬の雲間に実際の星の輝きを見、それをあの「秘密の星」と見たのかも知れない。さればこそやはり、その星は「そこに在る」のだ。最後に株式会社アストロアーツHP「AstroArts 星空ガイド」で再現された当日の午前零時の星座表を示しておきたいと思う。――ここにしづ子と巨湫の秘密の星は確かに「そこに在る」――