本句稿の最後は『「指環」改作』と標題を附した三十一句からなる。句集刊行後半年にして改作句をこれだけ纏めて師に示すこと自体、私は異例のことと感じる。総てを見て行きたいが、「改作」と言いながら、厳密に校合したわけではないが改作の直接の原句が『指環』に見当たらない句が半分以上ある、というのが私の印象である。恐らくは『指環』で用いたところの過去のイメージのストックから、今作った句であるけれども『指環』に載せるならこっちを載せたかったと思う句が含まれているのではなかろうか。原句と思われるものを三字下げで示した。この句稿は変である。ともかくお読み頂こう。
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「指環」改作
葉の松の年のはじめの黝みどり
原句なし。『指環』の新年の句は冒頭の
にひとしのつよ風も好し希ふこと
であるが、この改作には見えない。「黝みどり」は「あをみどり」と読む。
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玻璃の面や凍みるほどにも疵走る
月蒼む吻ふれしむる玻璃のはだ
たんたんと降る月光げよ玻璃きづつく
原句は二句とも巧みな「捻じれ」が表現されているが、改作は物理学の実験みたようでつまらない。
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早春のリボンはためく髮の先
春さむく髮に結ひたるリボンの紺
改作は凡庸なカメラマンのブレまくった写真。原句のスローモーションとアップと色彩に及ぶべくもない。
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梅雨降りの激ぎちきたるやゼネスト日
雲ながれゼネストつづく熟れいちじく
やはり原句に軍配。噎せ返るようなゼネストの雰囲気が「熟れいちじく」の饐えたアップと美事に一致する。
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ラケットの握りななめや靑葉光げ
テニスする午前七時の若葉かな
これは比較すれば改作句の方が動的でいいが、原句改作何れも凡庸な句であることに変わりがない。
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うべなへば頭べ吹かるる秋芒
穗の芒こころそまざることもきく
どちらもよい。これは二句並べてしづ子の内心が確かに伝わるところの句であると言おう。
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秋燈下履歴つづりてはばかるなし
秋燈下こまかくつづるわが履歴
これは無論、改作句に軍配。
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春雷のそれきり起たず籠り宿
これと似ているものに、
默々と小包つくる春の雷
があるが、これは改作というより、連作の別シーンである。
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潮の渦解けしのちにて潮流る
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なにゆゑのあがきぞががんぼ玻璃をうち
ががんぼや雨の吹きつけ玻璃の面
ががんぼのあがきつつや玻璃のあめ
とび入りし玻璃のががんぼ騒々し
ががんぼのいきて息づく玻璃面かな
ががんぼの在らずなりたる玻璃の面
『指環』にががんぼの句は一句もない。但し、これと同じシチュエーションを蛾で読んだ連作は大量投句稿の中にはある。「ががんぼのいきて息づく玻璃面かな」の下五は底本「玻璃面かふ」。訂した。
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じゅんじゅんと冬夜の蒸氣昇らしめ
對決やじんじん昇る器の蒸氣
これなどは最大最悪の改悪句にしか見えぬ。
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懺悔めく冬夜の雨のいたりけり
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みじろげばたがひの衣霧じめり
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理性葉つ一夜の霧の妖めきに
「理性葉つ」はママ。意味不明。判読の誤りであろう。
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たたずむは女人とおもふ蟲の闇
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東京も北多摩べりのカンナかな
往還にカンナ花もつ病不可
カンナ花せいめい永し朝夕通る
何となく東京への懐かしさから地名を詠み込んだものの、これも駄句に堕してしまった。
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雪崩るると衣あたらしき双の膝
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居ごもりの蘇枋の濃かりけり
蘇枋濃しせつないまでに好きになつたいま
それにしてここまで改悪の駄句が並ぶと、これは一体どういうつもりで『改作』と名打ったのか――如何にも不思議の感にとらわれてしまう。この句群は何だか――やっぱり変である。
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見上げれば星炎えいづる梅雨のひま
底本「梅雨のひき」。独断で変更した。
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黑人うたごゑつづく花ふれり
黑人と踊る手さきやさくら散る
哀しい改悪のダメ押しである。
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燈の柿のころがりてゐて娼家かな
ひまはりを植えて娼家の散在す
夏草と溝の流れと娼婦の宿
上五がやや不審であるが、悪くない。
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移りて美濃の夕焼け濃かりけり
底本「美濃」は「美農」。訂した。
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はずさるる汗の耳輪の靑びかり
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疲るるなき十指の爪の汗じめり
この句は、もしかすると『指環』の掉尾、
朝鮮へ書く梅雨の降り激ちけり
の改作のつもりなのかも知れない。しかし、ケリーへの恋文を書くというよりも、つい先日の昭和二十七(一九五二)年六月十五日附投句稿の、ケリーの母レベッカへの返信を書くしづ子の映像にこそ、この類型イメージは沢にある。
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まみゆると大赤に踏む梅雨の上
まみゆべし梅雨朝燒けの飛行場
「朝燒け」を「大赤」と言うのだろうか? 識者の御教授を乞う。
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古し品をかたみとおもふ靑嵐
頒ち持つかたみの品や靑嵐
これが句稿の掉尾でもある。この最後の句が『指環』の改作句であることはご覧の通りだ。やはり、しづ子はこの凡庸な改悪句三十一句を、何故か分からないが『「指環」改作』と標題して巨湫に示したかったことが分かる。――私はあまりのことに――この句群は何らかの暗号なのではないか? この句をどうにかして配列すると何かの別なメッセージが浮かび上がってくるのではないか?――などと――今も疑っているのである――