鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月二十四日附句稿百五十七句より(1) 四句
なにゆえに花にあめ降る石は白く
芭蕉を意識して贅沢な句であるが、字余りの下五に座り心地の悪さが残る。
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わが眼より玻璃裏側を蟲の匍ふ
蜂の飛翔をなぜか哀しき眼もて追ふ
蜂が巣をしづ子の家のすぐそばに作ったらしい。刺されること怖がったしづ子は窓に金網を張った。二十数句に及ぶ連作から。
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ダイナてふこの颱風を捲かれ
「捲かれ」は「まきつかれ」と読むか(そう読んでも私には「たいふうをまきつかれ」という破格文法は腑に落ちないのだが)。ただ私がこの句を採った理由は、しづ子の大量投句稿が正しくアップ・トゥ・ディトな、『現存在吟』であるということを示したかったからである。ダイナ台風は昭和二十七(一九五二)年の台風第二号で 六月二十日に発生している。国際名“Dinah”。六月二十三日に静岡県浜名湖付近に上陸、死者六十五人を出しているが、ネット上で検索すると、翌月の「アサヒグラフ」一九五二年七月十六日号は「台風ダイナ岐阜県下を襲う」という特集を組んでおり(標題のみで記事は未見)、しづ子のいた岐阜はその被害が甚大であったことを容易に想像させる。岐阜市の公式の大水害記録にも、二十三日のクレジットで、
ダイナ台風・台風規模中型・最大風速NNE10.8・最大瞬間風速 N12.2・岐阜県内の主な被害(死者1・負傷者29・床上浸水460・堤防決壊128・岐阜市水稲被害500ha
という記載が見える。
この句稿の日附に注意されたい。同年六月二十四日、ダイナ上陸の翌日である。この句は句稿の六十九句目、ほぼ全句の中央に位置している。やはり、しづ子は決してストックした句を易々と投句していたのでは、なかったのだ。正に強烈な「修行」として、日々時々刻々と精進していたのだということが、私にはここで改めて実感されたのである。俳句を消閑の具とするあなたには馬鹿馬鹿しいことかも知れない。私には、しかし、重大である。
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