鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月三十日附句稿百五十六句より(10) 五句
花の雨明日のこの刻在らざる居
春降りや金曜にもつジヤズタイム
春降りや刻いつぱいのジヤズ了る
沈丁やととのへ成りし旅のこと
旅立ちの夜るの沈丁にほふなり
川村氏は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の三〇九頁でしづ子が上京するために乗った列車を、三月三十日の東海道本線急行の岐阜発〇時五二分東京行と推定されている。すると、「花の雨」の句はその前々日、三月二十八日の零時前後の作と考えられる(因みに二十九日の天気も川村氏は当日の「岐阜タイムス」の予報の記事を引用して、ここ数日の「花の雨」の事実を確認しておられる)。昭和二十七(一九五二)年三月二十八日は金曜日であった。「春降りや」の二句は、ダンサーとして勤めているクラブのその花金の閉店時間一杯までの勤務の活写であり、最後の二句(句稿掉尾の二句である)は翌日三月二十九日の景、特に最後の句は既に二十九日の夜に入ってから、まさに家を出るその「旅立ち」の詠である。私はそれを彼女は岐阜駅へと向かう途次で投函したと思う。
――これは私の感覚でしかないのだが――私がしづ子なら――この句稿を師居湫に手渡しにはしたくないと思うのである。今までの郵送投句(それは師との一対一の文字通り修行であり参禅であった)の例外行為というだけでなく、これを私はしづ子にとって極めて特別な意味を持つ句稿と捉えているから、猶更に今まで通りの郵送で送りたいのである。
――しづ子がこの二十九日の土曜一日をかけて書いた一つの人生の区切りとしての――しづ子の新たな孤独の夜の果ての「旅立ち」としての――この清書した絞り出した公案の答えを――
――姿を他人に見せる最後となる旅の当日の句稿を――
私なら絶対に愛する師(男)に――しかも「しづ子」見たさに鵜の目鷹の目で群がっている男どもの前で――ある表情の意味を読み取られるような感じで――この最後の覚悟の大事な遺書の一部を手渡しにするようなことは――決してしたくはないからである――
――因みに沈丁花の花言葉は――「栄光」――「不死」――「不滅」である――
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