鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月二十四日附句稿二百十九句より(4) 詩心句群 二十一句
詩絶えのちかづくおもひ爪は燈に
半歳とつづかぬ詩心爪長く
戀うたを削りけづりて爪は燈に
詩稿いくたび煙と化せし炭火中
詩一冬竹の高葉の吹き徹し
詩絶えの懼るにあらず竹は吹き
寒浪のすさるに似たり詩心いま
愛しむや盛りし詩心失せゆくに
半歳の詩心華麗にして了る
爪は燈につづる詩心翳ぞ濃く
蝶翔ちて吾が頭は輕し一過の思
詩のことたつきのことと爪は燈に
爪は燈に十とそろへてつつがなし
たつき憂し兩立かくも爲し難く
破綻眼に見ゆるばかりに春南風
たつきか詩か三月さむき火の燃えて
春北風たつきぞあらざる詩はなし
春北風やたつきぞ守り徹すべし
春北風やたつき敗るるとも詩は
ひひらぎや詩倖せにこの體在り
春南風詩とたつきと頭にからげ
「詩心」を詠み込んだ一連の句群を二十一句連続で採った。川村氏はこれを若き日のしづ子が詩から訣別した回想句として捉えられている。そして、そこで川村氏は新発見の森田洋平なる男性名の定型詩を示されている。その詩は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」百四十頁を参照されたい。昭和二十一(一九四六)年の小冊子『子徑』に載る詩である。そうして私も確かに「半歳の詩心華麗にして了る」の句までは、そのように――近代詩から俳句に遷移したしづ子の句と十全に読めると言おう。だが、そこから後半の句は、私には実は現在時制で感じられるのである。後半の句では「詩」は音数律から言って「うた」と訓じているようにしか読めない。そして、句群の季節は明らかにこの句稿の季節そのものである。だとすれば、少なくともこの句群の後半は、過去の回想吟ではなく、「たつき」=「生」と両立し得る「詩」=詩歌=俳句を意味しているようにしか私には読めないのである。さすれば、そこには「俳句」と「たつき」たるダンサー、いや、これからしづ子が選び取らんとしている何らかの「たつき」=「生」と、「詩」=俳句の覚悟の訣別の謂いとしか読めないのである。しづ子は、この時、既に俳句を棄てる覚悟をしている、と私は読むのである。この句群の後はきっぱりとして、「詩」を語彙から棄てている。そして、彼女の好きだった木曾川の砂地を歩むしづ子が十数句詠まれて終わるのだ――
陽炎や砂地つきなば還るべし
しづ子は――好きだった木曾の河原の砂地を走ってゆく――タルコフスキイの「僕の村は戦場だった」のラスト・シーンでイワンと妹が走ってゆく川岸のように――好きだったその『抒情の文学=詩=俳句』の世界の、絶えて尽きたところで――「もう、帰りましょう」――と、しづ子は覚悟しているのではなかったか?――この二日後、第二句集『指環』が刊行される――