鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月十五日附句稿五百四十六句より(1) 四句
恐るべき膨大な数の句稿である。この前の二本(五月二十二日附・六月六日附)の句稿は極端に少なく、その前も七十七句、その前の四月十五日附句稿の中間部からは肺に関わる体調の不良や病臥を詠んでいたが、ここにきてしづ子の体調(少なくとも肉体的な)がやや快方へ向いてきた印象が句柄からも持てるように思われる。
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惜春や衣みどりや双つ肩
句稿巻頭。きりりとした決意は、虚子の赤裸々な「春風や闘志いだきて丘に立つ」なんぞよりずっと映像的で嫌みがない。
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春蟬や湯の面に落とす指の布
しづ子独特の美事なクロース・アップのカメラ・ワークが戻ってきた。私は凡夫であるから有名な法師温泉の高峰三枝子の広告写真を思い出す。いいや、私は実際に誰もいない法師温泉で独特の春蟬の鳴く二日間を実際に過ごしたことがある。だからこの句がリアルに感ぜられるのである。
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春晝の溝うつくしく流れけり
『雨が二階家の方からかゝつて來た。音ばかりして草も濡らさず、裾があつて、路を通ふやうである。美人(たをやめ)の靈が誘はれたらう。』(泉鏡花「春晝」)
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わが十指花栗の香にまみれけり
栗の花の匂いには、男性の前立腺から分泌するスペルミンC10H26N4というポリアミンが含まれている。栗の花はしばしば精液の匂いと同じだとされる。私に高校生の時、このことをちょっとはにかんだ笑顔で教えてくれたのは、理科の先生でも、ませた友人でも、なかった。私の母であった。
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