鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年四月十五日附句稿二百十七句より(12) 二句
借りて棲む蠶屋の隅や文學論
ここに少女期太宰文學神とあほぎ
太宰治は処女短編集『晩年』を昭和十一(一九三六)年六月に刊行、翌年には内縁の妻小山初代とのカルモチンによる自殺未遂を起こして一年間執筆を断っているが、しづ子は昭和十一年六月当時十七歳、淑徳高等女学校二年であった。川村氏はしづ子の年齢詐称との問題から、少女期の太宰文学との出会いを微妙に留保されているが、私は素直にこの時の体験としてよいと思っている。ここで年齢詐称は必ずしも露見するとは言えず、既にこの時、しづ子にはそうした気遣いは不要になっていたと私は思うからである。但し、前者の句の「借りて棲む」という謂いは、しづ子が単身東京に残った昭和十六(一九四一)年(しづ子二十二歳)以降、戦後直後を詠んでいる可能性が高いとは思うし、それが太宰が女性に人気を博すのとシンクロしているとは言える。
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