鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月三十日附句稿百五十六句より(9) 五句
朝鴉河西善藏在らざるなり
情炎の河西文學蚊帳をゑがき
靑蚊帳や讀みすて文の一つ痴話
蚊帳靑し痴語といふには哀しくて
一つ文情痴はめぐる誘蛾燈
しづ子の文学体験を考察する上で、貴重な句群と言える(「河西」は「葛西」のしづ子の誤り)。次の同年四月十五日附大量投句稿でも、しづ子は太宰に傾倒したことをやはり詠んでいるが、川村氏は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の九十六頁でこの「朝鴉」の句を引き、太宰に先行する典型的な破滅型の、この赤裸々な私小説作家葛西善蔵の意識の中にあった一種の『開き直り』と、しづ子の『指環』による「しづ子」伝説形成への、しづ子自身の『開き直り』との共通性を見出し、『それはひとえに、しづ子が目指した俳句そのものに、私小説的なる源泉をみていたからであろう』と記しておられる。至当な評言である。残念ながら私は葛西の作品を若い時に数作読んだぎりで、ここでこれ以上の語るものを持たないし、実は掲げた五句総てが私にはどれも意味が判然としないのである。ただ二句目とそこから展開連想される三句については気になるところではある。ネット上での検索から、アルコール中毒症状を呈するようになってから彼が書いた「弱者」という作品の中で、まさに前幻覚症状ともいうべき、強迫的な追跡妄想の表現が蚊帳に関わって現れているのを見出した。本句の「蚊帳」とは無関係かも知れないが、引用しておく(引用元は個人のHP「御酒之寝言屋頁」の「御酒の話(2)」。但し、漢字を正字化し、一部の読みを排除した。「…」はママ)。
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自分はその狹い植え込みの中に、動く黑い姿を認めた。ゾウーとした感じにうたれた。…兎に角にさう云ふ黑い影が、毎晩のやうに私を脅かす。閉めておいた筈の雨戸が開放されてあり、閉めてゐた筈の障子が開いてをつて、漠然とした黑い影が蚊帳の外に立たれるには敵(かな)はない…
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