鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年三月三十日附句稿百五十六句より(1) 四句
本句稿の日付は極めて意味深いものである。何故なら、これは何と、しづ子が神田神保町西神田倶楽部で催された自身の第二句集『指環』の出版記念会に出席した当日の日附だからである。これはどこでしたためられたものなのか? この日附に拘るとすれば、年譜的事実からは出版会の後、その日の夜宿泊したところの品川の宿で書かれたということになるが、それは如何にも考えにくい。とすれば、答えは一つしかない。すなわち、この句稿は出版会に出席するために岐阜を立った、三月二十九日の夜までに記され(前日出発については川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の三〇八ページに確定的考証が示されている)、三十日の朝、東京で投函されものだということである。川村氏は直接持参して巨湫に手渡した可能性を同ページで示唆されているが、いずれにせよ、私はその仕儀に、毅然としたしづ子のある覚悟が見えるように思えるのである。
『指環』出版が実は、必ずしも彼女の意に沿ったものではないことは、川村蘭太氏の驚くべき精査によって最早、明らかである。『指環』によって「鈴木しづ子」なる伝説の城は、師巨湫を始めとする「異端の娼婦俳人しづ子」を求める有象無象の俳人らの共同正犯によって完膚なきまでに外堀を埋められたのだった。
無数の猥雑な『独身者によって略奪された花嫁』しづ子――しかし、それであって『さえも』――しづ子は、
「みなさん、ごきげんよう、さようなら」
という鮮やかな一言の肉声を最後に投げかけて――その姿を永遠に消し去ったである――
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降りやみの濡れ葉いろなす土おもて
指にぎる草秀しほるるばかりなり
吹きやみの夕べ黝ずむ葉のおもて
毬さがす夕べ明りの草の中
この句稿は庭の草取りの情景群に始まるが、その草取りは草取りの持つ「生」や「活」の属性を全く感じさせない。雨後の庭であるが、抜く草の穂は最早既にしおれている――そして、あっという間に夕闇が迫る――最後に採った句では、しづ子は少女に戻っている――しかし夕闇は果てしなく濃い――タルコフスキイの「鏡」のラスト・シーンのようにカメラは情景を、否、そこに独り立つ少女のしづ子を映して――愛おしむようにゆっくりと叢の中へとフェイド・アウトしてゆく――