草野大悟が生きていたら
草野大悟が原発の現実をドキュメントしていたら――僕はもっと強烈に人々は意識すると思う――「知」じゃない――真の「感性」の訴える「聲」が欲しいのだ――草野には――彼だけにそれが出来たと思う――「聲」の「質」を喪ったメディアが――f分の一ゆらぎの、如何にもな「聲」切り売りするの愚劣な輩が――余りに多過ぎる――そんなことを今日、僕は感じたのだ――
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