鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年四月十五日附句稿二百十七句より(9) 三句
瞬間の死にあらざればむしろ否
桃は濃し母のごとくに死ぬるなめ
死なば死ね地の底を匍ふ人のこゑ
これらの句の前後や句稿の後半には肋膜を疑う句や発熱、病臥、慰めを言う医師がしばしば詠まれ、以上のような死を直接に詠む句、知多半島河和と思しい小旅行を「最后の旅かもしれず」などと意味深長に謳うなど、しづ子の結核罹患の可能性への不安を濃厚に感じさせる句が並ぶ(但し、私はしづ子が事実、結核に罹患していた可能性には懐疑的である)。二句目の「死ぬるなめ」は不審。「死ぬるなり」「死ぬるなれ」若しくは「死ぬるなる」(連体中止法)の誤記か? 考えにくいが「死ぬるなんめり」の「ん」無表記の「り」の脱字か?
しづ子はこの頃から、先の入水無幻のような自殺願望を示す句を創り始める。本句稿のの後半でも「もはや飽みたり生きること」「不意に死を得る」「死は最良のさだめとか」のいった表現が用いられている。知られた「しづ子」伝説の一つに、巨湫も口にしているしづ子自殺説があるが――これは無論、私の願望でもあるのであるが――私は「瞬間の死にあらざればむしろ否」というこの句に現れた凄絶ながらきっぱりとした覚悟から、しづ子は自殺してはいないと感ずるものである。
« 鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年四月十五日附句稿二百十七句より(8) 三句 | トップページ | 鈴木しづ子 三十二歳 昭和二十七(一九五二)年四月十五日附句稿二百十七句より(10) 七句 »