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2011/12/23

鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月二十日附句稿二百五十一句より 十三句

 二百五十一句としたが、実際にはこの句稿はもっと多い。途中に編者による丸々四ページ分の『判読不能』注記があるからである。底本の本文に画像で示されている一部句稿を見るに、一枚宛八句表記であるから、単純にこれで計算しても四枚で三十二句、この句稿は実際には二百八十句を有に越える句稿である。それに加えて、この句稿は保存状態が悪かったのか、異様に判読不能字も多い(判読不能字を含む句は実に二十七句に及ぶ)。また編者に失礼ながら、誤読と思われる字も、また多い。

 菊は地に天に勝利のピストル音

 冒頭の「ピストル」連作の一句。これらの一連の句は昭和十一(一九三六)年の山口誓子の著名な句「ピストルがプールの固き面にひびき」に触発されたものであろう。他の句柄から小学校か何かの秋の運動会の何メートル走かの種目競技の嘱目吟であるが、この句だけを取り出すと総てが役割を変じて不思議なおどろおどろしさを醸し出すではないか。一種の天狗俳諧、俳句のマジックである。面白い。そうした読みを断固拒絶なさるなら、俳句を棄てたがいい、と私は本気で忠告する。定型俳句の物理的論理的限界性を見据えずに花鳥諷詠だの伝統俳句だのとほざく輩は私の知己ではない。

   *

 蛇死して子供あそべり夏旱

 蛇死すと歩を早めつつ徑をそれ

 「蛇死して」は底本では「蛇死してる供あそべり夏旱」であるが、独断で変更した。
 以下は、私がかつて卒論で鑑賞した尾崎放哉の句鑑賞の一つを用いた。しづ子の句はこの「蛇が殺されて居る」の近親句である。

 蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る

 炎天下、蛇が殺されて横たわっている、つぶされて、生臭い体液を土ににじませて。それを避けることも出来ない細道なのか、それともあえてその凄惨な現場をまたごうとする不思議な心理か。
 惨殺された蛇の屍をまたぐのを、「炎天をまたいで通る」と表現したところに一種ぞっとするような俳諧味がある。太陽のギラギラした直射、埃っぽい乾燥感のなかにあって、ただ蛇から流れ出た血だまりだけが、湿り気をもって、生々しく迫ってくる。
 私はこの句を読むにつけ、芥川龍之介が大正六(一九一七)年の『中央公論』に連載した「偸盗」の第一章の冒頭を思い出す。夏の蒸し暑い不潔な朱雀綾小路の、「車の輪にひかれた、小さな蛇(ながむし)」のシークエンスは、この句とまさに短歌長歌の関係にあると言えよう。
『むし暑く夏霞のたなびいた空が、息をひそめたやうに、家々の上を掩ひかぶさつた、七月の或日ざかりである。男の足をとめた辻には、枝の疎な、ひよろ長い葉柳が一本、この頃流行(はや)る疫病(えやみ)にでも罹つたかと思ふ姿で、形(かた)ばかりの影を地の上に落としてゐるが、此處にさへ、その日に乾いた葉を動かさうと云ふ風はない。まして、日の光に照りつけられた大路には、あまりの暑さにめげたせゐか、人通りも今は一しきりとだえて、唯さつき通つた牛車(ぎつしや)の轍が長々とうねつてゐるばかり、その車の輪にひかれた、小さな蛇(ながむし)も、切れ口の肉を靑ませながら、始めは尾をぴくぴくやつてゐたが、何時か脂ぎつた腹を上へ向けて、もう鱗一つ動かさないやうになつてしまつた。どこもかしこも、炎天の埃を浴びたこの町の辻で、僅に一滴の濕(しめ)りを點じたものがあるとすれば、それはこの蛇の切れ口から出た、腥い腐れ水ばかりであらう。』(一九七七年岩波版全集より)
下手な解釈を下すより、芥川のこの一文の示すところが、放哉の――そしてしづ子のこれら句の持つ生理的実感を如実に伝えているではないか。

   *

 爆撃下炎日の河流れつき

 ハリーの朝鮮戦争での体験を聞き書きした間接体験の句と読めなくもないが、前に「夏盛る東京をのみ記憶とし」とし、後に「望郷や瓦■の草の吹きつぎて」とあるから、しづ子の空襲体験に基づくものと読みたい。但し、季節が異なることから所謂、知られた昭和二十(一九四五)年三月十日のような大規模な東京大空襲での体験ではないと思われる。東京は本土初空襲であるドーリットル空襲(ドーリットル中佐指揮のB-25中型爆撃機編隊16機による)による昭和十七(一九四二)年四月十七日以降、実に百回を有に越える空襲を受けているが、しづ子はその間、岡本工作機械製作所設計課トレース工として日吉工場に勤務していた。東京の衛星都市で工場群も多かった神奈川も昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲等、大きな爆撃を受けている。

   *

 吾らが手一夜の爐火を絶やしめず

 この句の前後には愛する相手を詠った句が並ぶ。例えば前の方には「雪こんこん吾らが愛に國境なし」「薔薇白く國際愛を得て棲めり」とあるから、ハリー・クラッケの追悼句群と捉えてまずは間違いないのであるが、実はこの句の前にあるような「雪崩」「雪」となると、これは前に掲げた『樹海』昭和二十三(一九四八)年五月号の「山の殘雪この夜ひそかに結婚す」「雪崩るるとくちづけのまなこしづかに閉づ」「春雪の不貞の面て擲ち給へ」の「雪崩」句群の頃の愛人『樹海』同人池田政夫の思い出へと変容しているようにも読まれる。もうこの頃には、しづ子にとって愛した男たちはすべてが遥か彼方の有機的な複合体として意識されていたのかも知れない。私はそれでいいと思う。実は私の過去への意識もしづ子のそれに近いからである。

   *

 銀漢や軍備を希ふ言多し

 銀漢や戰忌む言胸えぐり

 しづ子の時々ふっと胸を突いて出る社会性俳句。前に述べた通り、この時期、保安隊の発足が叫ばれ、再軍備化が進みつつあった。しづ子は賛成反対の二つの声を実に冷徹に謳いあげている。そこにはそのどちらにも組しない、組出来ない、そのどちらにも、邪な思いと嘘がある、と知ってるから、と呟くように。

   *

 驛柵の畫きて月下の道はじまる

 萩原朔太郎「定本靑猫」より。

  停車場之圖

 無限に遠くまで續いてゐる、この長い長い柵の寂しさ。人氣のない構内では、貨車が靜かに眠つて居るし、屋根を越えて空の向うに、遠いパノラマの郷愁がひろがつて居る。これこそ詩人の出發する、最初の悲しい停車場である。

   *

 驛の井の蓋なきままに夏盛る

 巧まぬ美事な写生である。

   *

 二十代ははや落莫と冬に入る

 「二十心已朽」(李賀「贈陳商」)――二十にして心已に朽ちたり――歩こう、預言者――

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