朝鮮民族は一体とならねばならない
血族を殺すことは、儒教の真の精神を今に残す稀有の朝鮮民族にとって、もっとも恥ずべき行為である。だとすれば、如何なる政治的イデオロギーからも、国際的力学からも鮮やかに解き放たれて、朝鮮民族は一体とならねばならないのだ。かつて日本や中国から受けた屈辱を断固として払拭してきたように、アメリカや旧ソビエト・中国からの従属的呪縛をきぱりと捨て去って、本来の民族としての誇りに立ち戻らねばならない。それをこそ、それをのみ今の我々は心から望むべきである。旧東西ドイツが「当たり前のこと」として行った統一を、今こそあなた方朝鮮民族自身の、如何なる政治的思想的思惑からも自由に解き放たれ、成し遂げねばならないと僕は切に思うのだ。朝鮮民族に栄光あれ!
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