2011年12月11日 国立劇場「曽根崎心中」評
今回のものは「文楽鑑賞教室」プログラムで、これは初めて見たのであるが、解説はそれなりに興味深く、面白いものではあった。面白い――特に相子太夫と三味線の清丈(右上に「ヽ」)それは漫才の掛け合いのようで楽しかった――楽しかったが、あれだけ笑いを取ると、その笑いが静まるまでの時間が総体として有意に後を押すことになることは分かっているはずである。終演時刻を17分という一桁刻みでアナウンスしたのは、本演公演の午後の部との絡みでのことであろうが、問題は「文楽鑑賞教室」だからといって――そのために芝居自体が縮小されることがあっては本末転倒だということだ――ところがそれがなされてしまった。
まず今回、僕は天満屋の段での縁の下の吉田玉女の「徳兵衛」を楽しみにしていた。面遣いがただ一人で、尚且つ、「文楽」の常識ではでは有り得ない例外中の例外たる女の素足を扱うのだから、否が応にも新しい世代を担う玉女の力量の見せ場であるからだ。このシーンの絶妙の演技を教えてくれる玉男はもういない。玉女は玉女のオリジナルな「徳兵衛」を演じるしかないのである。
大きな瑕疵はなかった。僕には途中、「お初」の左裾の乱れを手前から黒子が直したのは目障りだったけれども、これは直さいではおかぬものであり、黒子はいないものというのが文楽の決まりであるから問題ない。この乱れは偶然の不可抗力であり、更にそれは縁の下の玉女からは実は見えない。従っての彼の罪ではない。
この段の尤も難しいのは「徳兵衛」の演技の持続性である。頭の自由も奪われている以上、「徳兵衛」の右手だけがこのシークエンスの最大の命である。「お初」の足で首を掻き切る仕草は玉男に劣るものではなかったと思う。ところが、僕は今回、ずっと「徳兵衛」だけを見ていたのだが、その右腕が、一度、何をしようとしているのか分からない、空を切てしまうシーンがあった。それは恐らく先の乱れた左裾が黒子によって補正された後の位置が、玉女の考えた位置から微妙にずれていた結果として生じたものであった可能性が高いのであるが、それを除いても、今回の「徳兵衛」の右腕は何度か、僕には静止した人形の手に見えたことも事実である。
玉女の「徳兵衛」は未だ僕には課題が残されている――というのが正直な感想である。
今回の大きな問題は「天神森の段」にあった。道行が違う。実は僕は何か違和感を感じながらも、若い清十郎の「お初」と若い玉女の「徳兵衛」の如何にも若さを感じさせる等身大の強い引き合いと頭の感情表現に感激して、図らずも涙していたのだが、見終わった後に妻に違うと知らされて、はっとした。道行きの森の後ろの背景の大道具の移動が早く、更にそれが完全に終わってしまってから、二人が出てきたのだった。これは折角の舞台のダイナミズムがぶち壊しである。これは間違いなく後ろが押しているためになされた「やるべきではなかった」省略短縮ではなかったか。たかが「文楽鑑賞教室」されど、である。相子太夫は竹下に文楽憐みの令を出して欲しいと言って笑いをとったが、この道行のバタバタは、それこそ如何にも「憐れ」ならぬ「哀れ」な行為ではなかったか? 勿論、演出は多様であってよく、これが許されないものではないことも分かる――分かるが、真の感動はそこで微妙に殺がれたというべきではなかったか? 実際に妻は全体に不満であったようである。それはある種の――「文楽鑑賞教室」なるが故の、演者総体の微妙な気迫の欠落というものを、女の直感が感じたものと言えるのではないか。……しかし乍ら、完全なものを見てしまえば、それは芥川龍之介の「芋粥」の五位に陥るのが凡夫の我々の常である。ある軽微な失望を繰り返しながら、僕らはまた文楽を見たくなる。逆説的な真実として、人形にしか演技出来ない人間の本質が、そこにはある、と僕は思う。――文楽よ、永遠なれ――