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2011/12/18

鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月十五日附句稿五百四十六句より(10) ハリー・クラッケ哀傷句群全三十六句

 テキサスの春を傳へてあますなし

 人の母老いけり梅雨の月薄く

 旅費送るともいはれつつ春の雪

 テキサスの花むらさきに文重し

 米語におもふことばの崩れ月梅雨めく

 月梅雨めくなりゆきなりといふ觀かた

 異つ國のことば習ふやアマリリス

 レベツカと讀みし署名や梅雨燈下

 うつしゑや雪消え山そびらにし

 人の母の情に涕きぬ梅雨燈下

 人の母にまみゆることや春の雪

 春の雪うつしゑをもてまみえけり

 耐えしめずうつしゑに見し人の墓

 習ひのごと十字を切りぬ梅雨燈下

 墓碑の面の名は讀めざりき雪被き

 梅雨激ちケリー・クラツケ在らざるなり

 信ぜざるべからず梅雨の降り激ち

 梅雨の降りとどめを刺されし如くにて

 激つ降り人のうつしゑ棄てにけり

 夕星やうべなひ難き見えざる死

 梅雨燈下海■りきし文と品

 梅雨の燈やおののきほどく文の端し

 やうやくに返事したたむ牡丹かな

 英字にて署名をはるや梅雨激つ

 花椿たがひかよはす文あらぬ

 鬼灯や人のことには觸れず書く

 テキサスまで送るべき文夏薊

 夏薊週餘ののちに届くべし

 靑葉濃き木曾のうつしゑ送りけり

 梅雨の燈や縁者あらざることも似て

 老い先は短かからむといふを讀む

 人の母のうつしゑを見ていねがたき

 蔦の葉や老いの身が言ふ金のこと

 蔦の葉や子を喪ひしことの文

 文を見て涕かされしことからむ蔦

 からむ蔦それもこれも運命かな

 ハリー・クラッケ哀傷句群とは私の仮題である。私がそう判断する連続する全三十六句を総て採った。この連作には注も不要、如何なる俳句的批評も無効である。このハリーの母レベッカ母さんの、雪を被ったケリーの墓の写真を、送られてきたケリーの遺品を、胸に抱いて涙するしづ子に共感しない者は(そんな輩は私はいないと信ずるが)、しづ子自体を語る資格が全くない。遙かなテキサスのレベッカの映像さえ見える。それは、しづ子がこのレベッカに実母綾子を完全に重ね合わせているからに他ならない。SEは終始、頭上に降り、身の周囲をたぎるように流れ落つる雨音である。
(雨音。)
――燈下に送られてきたケリーの生前最後の写真に見入るしづ子――
――泣きながらゆっくりと、細かく、ケリーの写真を破るしづ子の手――
――燈火のしづ子、哭く――
(雨音、激しくなる。F・O・)
「墓碑の面の」の下五「雪被き」は「ゆきかずき」と読んでいよう。

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