鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月十七日附句稿「白痴」句群六十二句より十五句
この句稿は一見一読、ともかく強烈である。私が差別的ニュアンスをも避けずに敢えて全句を「白痴」句群としたのは、この全句が重い知的障碍を持った近隣の知れる女性を詠んだ完全な六十二句連作で、途中の一句と最後の五句を除いて総ての句に「白痴」が用いられているからで、この六句も、一句は牡丹の前に佇んだその娘からの散った牡丹の花へのティルト・ダウン、以下に総て採った最後の五句も娘が眼前から去った後の余韻句として詠まれているからである。そこでしづ子は、この『狂人の娘』を「白痴」の語を連打して一見、残酷悲惨冷徹に描いているように見えながら、その実、この『狂人の娘』の中に、まさに女人としての哀しき『人生の狂人の娘』たるしづ子自身を見つめていることがはっきりと分かってくる。私の選句はそれを伝えるに不十分である。底本によって全句の通読をお薦めするものである。
せつなけれこころ白痴に媚態せる
白痴にてこころ深げに形りに佇つ
白痴佇てり夕燒けは血の如くして
白痴佇てり親あれば髮美しく
白痴佇つやつねひらかれてうごかぬ眼
昏れがての雲のうつろひ白痴佇てり
白痴佇てり吾とひとしき女體もて
白痴失せぬ雲の夕燒け消えしより
せつなけれこころ白痴に髮黑く
白痴の眼牡丹の一點を捉へたり
白痴にて女人の歩みたもちつつ
生きるべし梅雨の夕燒けしたたる如
梅雨燒けや五體そろへばありがたき
梅雨燒けぬこころゑがける祈りの手
この刻や生ひしひしと梅雨燒けぬ
泪しておのれに言ふや梅雨燒けぬ
二句目「白痴にてこころ深げに形りに佇つ」は底本では「こころ深けに」。独断で濁音化した。下五は「なりにたつ」と読んでいよう。
冒頭にも述べた通り、この最後の五句が差別的な「白痴」をメタなレベルへと引き上げてゆく。「夕燒け」の生々しい生き血の「したたる如」「生きるべし」――生きよ――と叫び、「五體そろへばありがたき」と感じているのは『狂人の娘』へであると同時に、しづ子自身への強烈なエールである。「こころゑがける祈りの手」は『狂人の娘』の艶めかしく美しい白い祈りの手であった映像が手へフレーム・アップして、再びティルト・アップするとそれはしづ子である。「この刻や生ひしひしと」「泪しておのれに言ふ」言葉は――あの子は私――というしづ子のモノローグなのである――
――僕が小学生だった時、通学路のすぐ脇に一軒の旧家があった。いつもその縁側には朝も夕も年中同じ白木綿の寝巻を羽織った、燃え立っているいるかのように真っ黒な髪の毛の、その髪のまた、恐ろしく豊かな、四~五歳ほど私よりか上と思われる小太りの少女が座っていた。学校には行っていなかった。通る時に皆で彼女のことを覗いたりすると、彼女は必ず嚙み付くように「なんダヨ!」と奇妙なアクセントで、ねめつけながら僕らを怒鳴ったものだった。――私は今も――何故だか彼女の顔を忘れられない。彼女は今、どうしているのだろう――彼女は――私の幽かな心の疼きとともに、時々浮かんでくる『永遠の少女』なのである――
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