鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年七月二日附句稿百五十八句より(2) 八句
とりいだせし扇風機にも過去嚴と
とりいだせし扇風機にて戀哀れ
扇風機の奢りにありぬひとりの居
扇風機にもつともちかく貌をさらす
扇風機に眞對ふ貌の細の眸
夫という言とひしめく靑梅と
實梅落つ素直に享くる人の愛
死す如く眠りおちゆく扇風機
先の「過ぎ失せし愛の記念や冷藏庫」ほどではないが、しづ子の恋句には電気製品という極めて現代的な対象によって追懐されるという際立った特徴がある。それもこの昭和二十年代には、冷蔵庫や扇風機を普通に持っていた上流階級に属する俳人誰彼であっても、こうした自慢げに見える句は流石に嫌味になるから遠慮して決して作るまい。これらの句は、言わば、そうした階級意識を持った「遠慮」――その実、厳然としてある貧富の差の目線――更にしづ子のようなダンサーを蔑む彼らの視線――「しづ子」伝説に涎を垂らす鵜の目鷹の目猥褻卑猥な自称俳人の男たち――といった有象無象の優位感を持ったしづ子の周囲の輩に対する、しづ子独特の、一つの冷めた報復であるように感じられる。扇風機の真正面に目を細めて髪を靡かせて無言でいるしづ子は――「ワレワレハ宇宙人ダ」ではない――「お前たちこそ人の心を踏みにじって屁とも思わない宇宙人ではないか」と私に語りかけてくる――
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