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2011/12/17

鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月十五日附句稿五百四十六句より(5) 二十八句

 大輪の朝顏ゑがく種袋

 好きだね。俳諧本来の諧謔とアイロニーが写生に生きているではないか。

   *

 父の如まさに落日在りにけり

 詠んだ者勝ち。いいじゃないか。

   *

 惜春や壁にかたむくマリアの像

 悪くない。初五が嵌まり過ぎて少し観念に堕ちるか。

   *

 尾張路や自轉車に積む荷の芒

 いいね! 子規も褒めそうな。

   *

 煤煙のながれゆく方冬鷗

 底本「ふがれゆく」。訂した。長回しのゆっくりとパンするカメラがいい。

   *

 またしてもぽつかり割れて夜の胡桃

 三鬼の「夜の桃」を意識しながらも、女らしくインスパイアしたクロッキー風の佳品。

   *

 胡桃燒くわれに一つの宿命あり

 ファム・ファータル――その名はしづ子――

   *

 秋白く追ひつめられてゆく思かな

 声に出して詠むとこの句の美しさが、分かる。

   *

 雲下りて十藥白し美濃の果て

 「十藥」は「どくだみ」。霧のような雲と一緒にゆっくりとティルト・ダウンして、ドクダミをアップ――急速にバックして広角で美濃の全景をアオリで撮る。

   *

 たんぽぽや■美と知多が圍ふ海

 この底本の「■美」は「渥美」でしょう。

   *

 死してありよべはなやぎし螢どち

 詩語の選びと表記が絶妙である。特に下五の「どち」が上手い。

   *

 酒を嘔く泪ぎらつく月の前

 雲間の月土曜日曜いとま得ず

 あてどふく働きつづく月の西に

 疲れし體西方よりの月に佇つ

 この日頃なりはひたたず梅雨めく雲

 月朱し醉ふほどに酒飲まされて

 「嘔」は底本では「※」=「口」+(「偪」-「亻」-「田」+《「田」の位置に》「匹」)であるが、「嘔」と判断した。珍しくポーズのない、しづ子の生活に疲れた句群である。この後にも仕事で飲んで嘔吐する句が続く。

   *

 蠅の屍に蠅が寄りきて離れざる

 いいね――慄然とするエッチングだ――

  *

 不思議にも荒れざる膚や夏の貌

 夏ちかづく素顏の膚や小麦いろ

 堕ちきれず寒月は地にびつしりと

 しづ子はやっぱり小麦色のぴんとした健康な女である。しづ子は堕ちない。

   *

 石を蹴るときは悲哀のこころあり

 『あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)』(尾形亀之助「障子のある家」巻頭)

   *

 とほからず行く上海や夏の海

 夢の銀河鉄道『「しづ子」伝説号』は大陸行の片道船便も用意されています――どうぞ、ご自由に――上海バンスキングと参りましょうか――

   *

 腋毛濃しさんさんと湧く雲間の陽

 私はこの句が好きで好きでたまらない――

   *

 氷■中突きて散らさむ五體かな

 鴉群る■漠に置けりおのが屍を

 この二つの句、判読不能字の存在故にこそ魅力的である。

   *

 人買ひに買はるるもよし夕鴉

 しづ子のしづ子による「しづ子」伝説は「オルレアンの噂」の域にまで達していたのですね――

   *

 うべなふや薔薇くれなゐの花ことば

 底本「うべふふ」。訂した。句鑑賞に花言葉を添えるのを、自分ながら胡散臭く思う部分が私にはあるが、それでもこれは添えずにはおくまい。赤い薔薇は「愛情」「情熱」「熱烈な恋」、中でも濃い赤の薔薇は実は「内気な恥じらい」である。しづ子がうべなうのはこっちだと私は思う。

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