鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月十五日附句稿五百四十六句より(5) 二十八句
大輪の朝顏ゑがく種袋
好きだね。俳諧本来の諧謔とアイロニーが写生に生きているではないか。
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父の如まさに落日在りにけり
詠んだ者勝ち。いいじゃないか。
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惜春や壁にかたむくマリアの像
悪くない。初五が嵌まり過ぎて少し観念に堕ちるか。
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尾張路や自轉車に積む荷の芒
いいね! 子規も褒めそうな。
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煤煙のながれゆく方冬鷗
底本「ふがれゆく」。訂した。長回しのゆっくりとパンするカメラがいい。
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またしてもぽつかり割れて夜の胡桃
三鬼の「夜の桃」を意識しながらも、女らしくインスパイアしたクロッキー風の佳品。
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胡桃燒くわれに一つの宿命あり
ファム・ファータル――その名はしづ子――
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秋白く追ひつめられてゆく思かな
声に出して詠むとこの句の美しさが、分かる。
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雲下りて十藥白し美濃の果て
「十藥」は「どくだみ」。霧のような雲と一緒にゆっくりとティルト・ダウンして、ドクダミをアップ――急速にバックして広角で美濃の全景をアオリで撮る。
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たんぽぽや■美と知多が圍ふ海
この底本の「■美」は「渥美」でしょう。
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死してありよべはなやぎし螢どち
詩語の選びと表記が絶妙である。特に下五の「どち」が上手い。
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酒を嘔く泪ぎらつく月の前
雲間の月土曜日曜いとま得ず
あてどふく働きつづく月の西に
疲れし體西方よりの月に佇つ
この日頃なりはひたたず梅雨めく雲
月朱し醉ふほどに酒飲まされて
「嘔」は底本では「※」=「口」+(「偪」-「亻」-「田」+《「田」の位置に》「匹」)であるが、「嘔」と判断した。珍しくポーズのない、しづ子の生活に疲れた句群である。この後にも仕事で飲んで嘔吐する句が続く。
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蠅の屍に蠅が寄りきて離れざる
いいね――慄然とするエッチングだ――
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不思議にも荒れざる膚や夏の貌
夏ちかづく素顏の膚や小麦いろ
堕ちきれず寒月は地にびつしりと
しづ子はやっぱり小麦色のぴんとした健康な女である。しづ子は堕ちない。
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石を蹴るときは悲哀のこころあり
『あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)』(尾形亀之助「障子のある家」巻頭)
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とほからず行く上海や夏の海
夢の銀河鉄道『「しづ子」伝説号』は大陸行の片道船便も用意されています――どうぞ、ご自由に――上海バンスキングと参りましょうか――
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腋毛濃しさんさんと湧く雲間の陽
私はこの句が好きで好きでたまらない――
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氷■中突きて散らさむ五體かな
鴉群る■漠に置けりおのが屍を
この二つの句、判読不能字の存在故にこそ魅力的である。
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人買ひに買はるるもよし夕鴉
しづ子のしづ子による「しづ子」伝説は「オルレアンの噂」の域にまで達していたのですね――
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うべなふや薔薇くれなゐの花ことば
底本「うべふふ」。訂した。句鑑賞に花言葉を添えるのを、自分ながら胡散臭く思う部分が私にはあるが、それでもこれは添えずにはおくまい。赤い薔薇は「愛情」「情熱」「熱烈な恋」、中でも濃い赤の薔薇は実は「内気な恥じらい」である。しづ子がうべなうのはこっちだと私は思う。
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