鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年六月十五日附句稿五百四十六句より(7) 不思議ながじゆまる句群より十句
かりそめにあらざる契りがじゆまる葉
がじゆまるの葉の滴りも小豆島
海荒れの雲のうごきや南の國
海流に沿ふて流すやがじゆまる葉
たがひ持つがじゆまる葉の靑さかな
かりそめの言の不吉さがじゆまる葉
裂きて持つがじゆまる葉よ離るまじ
古りけり吾手に残るがじゆまる葉
指に折る書より出でしがじゆまる葉
片割れのがじゆまる葉よ夕べ濃く
哀戀や裂けば破るるがじゆまる葉
不思議な句群である。「がじゆまる」を詠み込んだ連続する十七句から。そもそもこの「がじゆまるの葉の滴りも小豆島」を示さなければ、ここにある句群を小豆島だと思う読者は皆無である。今なら普通に沖繩の詠と誰もが読む。「南の國」「海流に」は正に沖繩に、「がじゆまる」の生い茂るそこにふさわしい。岐阜から見れば小豆島は南で、温暖な島国ではあるし、瀬戸内海も海流は流れる――と言われていも、やはり「がじゆまる」と「小豆島」は意外中の意外、私にはオーパーツである。だいたいガジュマルは日本では主に南西諸島にしか自生しない。小豆島は温かいが、ガジュマルが生えているとは思われない。何らかの植物園内なら考えられるが、この昭和二十七年代にそうした施設があったのか? いや、オリーブの島ならガジュマルも生えるか、ともかく小豆島に現在若しくは過去にガジュマルの木があるかあったか、御存知の方、御一報頂けると幸いである。ネット上の検索では見当たらなかった。
そして次は、このシチュエーションの謎だ。
――私は――あの「がじゆまる」の木の下に、恋人と一緒に佇んだのを思い出す――
――そこで私たち二人は葉を何枚か千切り――そのうちの一枚の葉を二つに千切って――それぞれに裂いて持つた「片割れのがじゆまる葉」、その「がじゆまる葉よ離るまじ」と――確かにそこで永遠の愛を契ったのだった――
――二人して歩んだ美しい砂浜――私たちはそこで何枚かの「がじゆまるの葉」を流して戯れたりした――楽しかったあの日――
――でも、ふと呟いた言葉の中に「かりそめの言の不吉さ」が混じっていた――
――それは今や本当になってしまったわ――
――あの時の「がじゆまる」の葉――それが今、私の手の中にある――すっかり古びてしまったけれど――大好きな本の栞にしていたの――
――ああ、私の哀しい恋――
――もう、あなたは、いない――
ピッ……
――「裂けば破るるがじゆまる葉」――
この「がじゆまる」の木は現に生えている。「葉」だけではない。でなければ「たがひ持つがじゆまる葉の靑さかな」とは詠まない。不吉な言上げは、これを呟いたのがどちらかかは分からない。ともかくもそれは二人の思いもしなかった離別や死別を暗示させるものであったということである。しづ子はこの「がじゆまる葉」連禱十七句の最後に――その「がじゆまる葉」を裂いて粉々にしてしまう――夕暮である――
最後に。この相手は誰か。――恋人・旅行・南国・離別、そして現在もしづ子の中に深い思慕の情が現存する――私はハリー・クラッケしかいないと思う。
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