鈴木しづ子 三十四歳 『樹海』昭和二十九(一九五四)年八月号しづ子詐称投句全掲載句
穗草
夏涸れの橋つくふや稻葉川
塔下なる疾風の麥明日は刈る
穗草吹く匂ひを人とおもひけり
星霽れのしんしんと濃き樹蔭ゆく
叔母の戀情噺笑ふにもあらず氷柱照る
「夏涸れの」は不審。前掲したようにこれは日附不明の大量投句稿にあるが、そこでは、
夏枯れの橋をつくらふ稻葉川
音数律から見ても『樹海』の誤植であろうと思われるがママ注記もない。これはそのまま表記しておいた。なお、やはり前の昭和二十七(一九五二)年九月二日附句稿で掲げた通り、この「稻葉川」はしづ子にとって意味深長な固有名詞なのである。巨湫がそれをここで敢えて出したこともやはり巨湫にとっても意味深長なのである。
「穗草吹く」は底本「隠草吹く」。これでは標題の意味が分からぬ。「隠草」では意味も分からぬ(私は不学にして「隠草」という、この如何にもいい風雅な熟語を知らない)。『樹海』の誤植なのか、しかしママ注記もない。こちらは私の独断で勝手に訂した。
「叔母」は岐阜在住であった歌人の山田朝子(旧姓鈴木)。その句柄はしかし、絶対零度である。しづ子と叔母との関係は社会的立場及び親族内でのしがらみへの意識の相違による相互不理解と、「アララギ」の正統派と「しづ子伝説」の観念世界のギャップからか、既に冷えきっていた。それが正に低温吸着して肌がべろりと剥けるように、美事に詠まれた句である。
なお、ここまでで気が付くことが一つある。
――三月号の最終句は、
爐火の燃え祕むるこころの喪さながら
次の五月号の巻頭句は、
強からぬ爐の燃えゆきを一日とす
その掉尾は、
堕りし雪の碎け散りなむ崖の底
次の六月号の巻頭句は、
掌に握る鍵温し雪しまくなか
その掉尾は、
風過ぎし穗草匂ふや人あらぬ
そして次の本八月号の冒頭標題は
「穗草」
である。
これは確信犯の連鎖である。巨湫は何かを考えていた――少なくとも漫然と――しづ子の投句を詐称するためだけに掲載していたのではないことは確かだ。しづ子の失踪の景色は、もしかするとその巨湫の選句の中にこそ、宿命的に暗示的ながら、ぼんやりと姿を現してくるのかも――知れない
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