鈴木しづ子 三十三歳 『樹海』昭和二十七(一九五二)年十二月号しづ子詐称投句全掲載句
しづ子の失踪を、最終投句稿の日附昭和二十七(一九五二)年九月末日と措定し、ここ以降、最後の昭和三十九(一九六四)年七月号『俳句苑』までの実に四十一冊、凡そ十二年間
――但し、途中、
昭和二十八(一九五三)年七月号から翌昭和二十九(一九五四)年一月号まで
昭和三十(一九五五)年十二月号から翌昭和三十一(一九五六)年四月号まで
昭和三十二(一九五七)年三月号から翌昭和三十三(一九五八)年八月号まで
昭和三十四(一九五九)年二月号から六月号まで
昭和三十四(一九五九)年十月号から昭和三十八(一九六三)年五月号まで
の『樹海』(後に『きのうみ』に改題)には掲載句がない五ヶ月以上に及ぶ有意なブランクがあり(その間にも一~三ヶ月のブランクは何度もある)、更に「きのうみ」昭和三十八(一九六三)年十月号に掲載されてから最後の『俳句苑』昭和三十九(一九六四)年七月号掲載の間も八ヶ月のブランクがある――
にも及ぶ掲載句を、私は巨湫による『しづ子詐称投句』と呼称することにする。詐称である以上、どの投句稿からのものであるかは、全集でも出版される過程で(そのような企画があるかないかは別として)、全句が自ずとデータベース化されて明らかになるであろう。私は目視によって行っており、時間もかかるし、見落としも出て来る。その労はこれ以降は、今の私にとってあまり価値を認めていない。投句稿にあるものもあり、ないものもあるやに感ぜられるが、淡々と示したい。但し、これがそれらの『樹海』その他を精査された川村氏の編集権を犯すものとならないように、簡単な評は附していきたいと思う。
殊に佳き星をとらへてまぶしめり
男あり鉢卷をして靑田中
蚊遣りの蚊ひとたび堕ちて起ちゆけり
佇ちてあれば柳絮とびゆく水の上
髮梳けばふるさとのごと雪降れり
しづ子の実際の生誕地は東京市神田区(現在の千代田区)三河町である。しかし雪を詠み込んだ最終句の「ふるさと」はそこではない。巨湫によって組み合わされたものであるから前句との関連を問題にするのは意味がないとも言われようが私は「柳絮」が気になる。日本で柳の綿毛が舞うのが見られるのは、大陸からの柳の移入種が多い、北海道である。しづ子の中にあの、大正一四(一九二五)年、しづ子六歳の時、家族と住んだ一時の団欒の幸せな一瞬が、しづ子をして北海道を「ふるさと」と呼ばしめているのではあるまいか。
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