殴られ土下座をした白洲次郎
僕は「日本一カッコいい男」「真のリベラリスト」「プリンシプル」白洲次郎がどうにも好きになれないでいる。いや、それどころか、柴田哲孝著「下山事件 最後の証言」の犯行グループと思しき連中と一緒に写真に映っているように、彼はあの下山謀殺にも深く関わっているんではないかとさえ僕は疑っているぐらいだ。それがかのドラマ以来、如何にもな讃えられようではないか。ウィキなんぞでも褒めっぱなしだ。ところが先日、そんな僕の不快感を払拭し、溜飲の下がる思いがした記事を読んだ。批評社の社評雑誌『Niche(ニッチ)』27号(2012年1月1日)の副田護氏の「ある参謀将校の告白」の「戦時中の知識人たち」の末尾の方にそれはあった。これは1995年秋に大本営陸軍部(参謀本部)参謀将校某中佐参謀へのインタビュー(名前は伏せられており、この後に亡くなっているとある)である。以下に該当箇所を引用させて頂く。
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最後に知識人と言えるかどうかわかりませんが、白洲次郎についてお話ししましょう。昨今、「マッカーサーにNOと言ったただひとりの日本人」「軽井沢ゴルフクラブから田中角栄を追い出した」などと、英雄扱いされていますが、私の知る限り、白洲と言う男は度胸もなにもない「腰抜け」でした。
昭和十九年の秋口だったか、負け戦続きのころです。私は何人かの同僚と小料理屋で酒を呑んでいました。突然、廊下から怒鳴り声が響き、同時に誰かが殴られたようでした。襖を開けて出てみると、仁王立ちになった参謀将校がいて、長身の男が頬を押え泣きながら土下座して謝っています。
参謀将校は広島幼年学校で私の先輩であり、陸大では専科のK・H中佐でした。H中佐をなだめていたのが樋口季一郎中将、襖越しに室内を覗くと、辰巳栄一中将がいます。H中佐に、なにがあったのですか、と聞きましたら、長身の男は辰巳中将に徴兵逃れを依頼し、そのお礼で一席設けていたとのことでした。
当時、徴兵逃れなど珍しくもありません。どこの町内にも一人や二人いて、徴兵された留守宅の女性たちと生臭い噂をふりまいていたものです。徴兵逃れだけでしたら舌打ちのひとつで済んだものを、この長身の男は大声で「こんな戦争、始めたやつの顔が見たい。馬鹿じゃないか」と放言し、たまたま廊下を通りかかったH中佐に張り倒されたというのが顛末でした。
辰巳中将と英国留学時代に親しかったというその男は白洲次郎と聞きました。あのおどおどした土下座姿を見た私には、マッカーサーにNOと言ったことは伝説伝聞の類で信用できません。関係者何人かから、白洲にそんな度胸があるはずもない、フィクションだという話も聞いております。軽井沢ゴルフクラブから田中角栄元結理を追い出したのは、身の安全が保障されていたからでしょう。白洲次郎について「権威に屈さず、プリンシプルを重んじ、筋を通す」と評されます。私は、辰巳中将という虎の威を借りて徴兵逃れした上に思いあがった暴言を吐き、一参謀将校に張り倒されると泣いて許しを乞うていた男に、この評価は絵空事のように思えてなりません。
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