鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年七月二十四日附句稿百五十八句より(6) 祕して言はずわがクローバーの四つの葉
祕して言はずわがクローバーの四つの葉
花言葉では通常の三つ葉のクローバーの一枚の葉には「希望」「信仰」「愛情」の意味があるとされ、特に四つ葉のクローバーには人口に膾炙するように「幸福」の意が込められる。川村氏は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の三五三~三五四頁で、この句を特に取り上げてしづ子の謎に迫っておられる。詳細は当該書をお読み戴きたいが、元『樹海』同人であった矢澤尾上(おのえ)氏は、その評論「俳人・鈴木しづ子――その知られざる生涯と作品」(『俳句研究』昭和六十二(一九八七)年八月号)で、自身が『指環』特装本限定三十部の第一冊を所蔵していること、それがもと巨湫の所蔵本であったこと、氏に巨湫から形見として渡されたこと、そして、その見返しには『この一冊はしづ子さんの所有だったのです。「まがふなし」もしづ子さんのもとめにより私がかきました』という添え書きがなされていることなどを述べられている(「まがふなし」は『樹海』昭和二十五(一九五〇)年十一月号に載った、しづ子の「明星に思ひ返へせどまごふなし」を指す)。ところが、その巨湫遺愛の『指環』には、『デパートの包紙で丁寧に上覆いされている』『四ツ葉のクローバーがはさ』み込まれてある、とある。川村氏はこの事実と本句から、しづ子自殺説への否定的見解を展開されている。氏は『この<クローバー>の句には、大きな謎が隠されている。直訳すれば、しづ子は巨湫に、この<四つの葉>に託した意味を、<秘して言はず>に別れていることになる』と語られる。そしてクローバーの花言葉を示し、普通に考えるならば、しづ子は『これらの花言葉総ての願いを巨湫に託した』、それは言わずもがなのはずの『師巨湫への愛』だとするならば、しかし『であれば彼女は何も巨湫に対して秘密にすることはない』はずである。だのに敢えてここで「祕して言はず」と詠んだのは何故か? 川村氏は言う。ここには言わずもがなではない、『そうではない二人だけの暗黙の何かが』潜ませてあり、それは正に『しづ子自身に向けての思いではなかったのか。その意味を知っているからこそ、巨湫はこの四つ葉を大切に保管していたのではなかろうか』。そこから更に氏は花言葉の「信仰」に着目、しづ子の失踪の彼方に、尼僧となったしづ子の姿を措定されておられる。その当否は当該書をお読みになったあなたが判断されたいが、私もしづ子は自殺していないという立場に立つ点に於いて、川村氏に同感であり、この句の孕んだ「希望」の秘密が、一本の葦として私自身にも強く意識されるのである。
――「希望」「信仰」「愛情」そして「幸福」――
――昨年の秋、私はアリスを散歩させながら、必死になって四つ葉のクローバーを探した――そうして見つけたそれを病床の母に贈った――母は最期の日まで――病床に押し花にしたそれを飾っていた……
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