鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年九月二日附句稿百十句より(1) 二句
稻葉川ほとりの草の旱の陽
わが村の稻葉川てふ涼しき名
これは明らかに固有名詞である。「稻葉川」とはどこか。ネット上で検索する中で、めぼしいところは以下の三つ。
・大分県竹田市稲葉川(大野川に合流)
・兵庫県日豊岡市高町稲葉川(円山川に合流)
・新潟県長岡市稲葉川(信濃川水系)
但し、兵庫県の稲葉川は「いなんばがわ」と読むようである。新潟……
……新潟……川村蘭太氏「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の最終章「エピローグ 巨湫の遺した謎を追って」で、氏は巨湫がしづ子が突如、昭和三十八(一九六三)年に改題された『きのうみ・樹海』にしづ子の句を投句されたかのように掲載し出した、その雑誌に示されたしづ子の投句先住所『狭河』(県名も市名も示されていないという)を手掛かりに、しづ子の所在を追っておられるのであるが――詳細は当該書をお読み戴きたい――川村氏がそのラスト・シーンで立ったのは……新潟の……とある河畔であった……
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