宇野浩二 芥川龍之介 二~(5)
その日[大正九年の十一月二十三日]の晩、私たちが、新京極のナニガシ劇場を出て、暗〔くら〕い底冷〔そこび〕えのする寒い夜〔よる〕の町を、いそぎ足にあるいて、七条の停車場についたのは、十時半であった。上りの汽車が出るまで二十分ぐらいあったので、私たちはその二十分ほどの時間をもてあました、いや、もてあます、というより、閉口した。夜〔よる〕も十一時ともなれば、あのだだっ広〔びろ〕い七条の停車場の前の広場は真暗〔まっくら〕であり、もとより、土産物〔みやげもの〕を売る商店などは皆ほとんど戸〔と〕をしめており、ただ二三軒の宿屋の入口から明かりがさしているだけである。その広場をいくら足ばやにあるいてみても、待合室の隅〔すみ〕の方に体〔からだ〕をゆすりながら立っていても、顔がいたくなるような寒さをおぼえ、足の裏から冷〔つめ〕たさが体〔からだ〕に凍〔し〕みとおるような気がしたからである。
ところで、これだけの記憶があって、さきに引いた芥川の全集の書翰篇に出ているような、この日、江口 渙にあてて、絵葉書に、芥川と寄せ書きをした覚えなどはまったくないのである。まして、京都のどこでそういう寄せ書きをしたかというような記憶はまったくないのである。ところが、ただ一〔ひと〕つ、妙な記憶が、ふしぎに、残っているのである。それはこういう話である。
京都の、どこであったか、(たぶん私たちが一服した新京極の喫茶店であったかと思うが、それもうろ覚えである、)芥川が、なにかの話のとぎれた時、ちょっときまりのわるそうな顔をしながら、
「君〔きみ〕、コレ、ぼくの家にもって帰って、もし見つかったら困るから、あずかっといてぐれないか、」と、ここで、例のニヤニヤ笑いをしながら、「なんなら、どうだ、君も、ひとつ、コレを、『しよう』してみたら、――もっとも、『しよう』というのは、『使い用』の『しよう』と『試み用』の『しよう』と、その二〔ふた〕つの意味を、かねてだよ、」と、云った。
「……だって、さっき、君は、『ソレ』をつかって、失敗して、『ちょいと吾妹〔わぎも〕が悲鳴をあげた』などと、云ったじゃないか。」
「吾妹〔わぎも〕といえば、万葉集の、『秋の宿に濡れつつをればいやしけどわぎもが宿し思ほゆるかも』、『わぎも子がゑめるまよびき面影〔おもかげ〕にかかりてもとな思ほゆるかも』、などという歌は、じつに好もしいじゃないか。」
「……ふん、……が、僕は、そんなゴマカシには乗らないよ……しかし、『ソレ』は、あずかってやろう、但し、云っとくが、僕は、『コンナモノ』は、つかわないよ。」
この芥川が『コレ』といって私にわたしたものは、あの、前にのべた、四目屋〔よつめや〕と宮川町の一件と新京極の喫茶店で芥川と私がかわした妙な問答を思い出してくださらば、敏感な読者には、(いや、いかなる鈍感な読者でも、)直〔ただ〕ちに、想像できるであろう、それは、即〔すなは〕ち、一ばん大きな指サックの五倍くらいの大きさの張型(『ハリカタ』)である。(ところで、私は、この時、芥川からあずかった『張型』を、どこにしまったか、⦅袂〔たもと〕のなかに入れたか、紙入れの中〔なか〕にしまったか、⦆自分の家にもって帰って、どこにしまったか、まったく忘れてしまった、それゆえ、あの時の由緒〔ゆいしょ〕ある『ハリカタ』は行方不明〔ゆくえふめい〕となってしまったのである、閑話休題。)
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