鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年九月三日『読売新聞』夕刊文化欄「新人抄」掲載句『雲間の陽』全五句
炎天下首輪くひこむ犬の首 (七月二十四日附)
靑蔦のきらめきを壁となし (六月 十六日附)
橋わたる七夕さまの夜の電車 (七月二十四日附)
腋毛濃しさんさんと湧く雲間の陽 (六月 十五日附)
緑蔭に揃ひの椅子を薦めらる(日附不明投句稿)
これはしづ子の投句によるものではない。川村氏によれば、掲載記事のしづ子肩書は『樹海・同人』となっており、『新聞社との句稿の受け渡しも、すべて松村巨湫経由で行われた』(「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」三八五頁)とある。さすればこの選句も巨湫によるものであると考えてよい。但し、この選句自体は、私にはどれもかなり共感出来るものである。
――それにしてもこの掲載は如何なる経緯によるものか。しづ子が望んだとは私には考えられない。とすれば巨湫しか考えられない。全くたまたま『話題の伝説の俳人しづ子』を興味本位でターゲットとした文化欄編集者が巨湫に話を持ち込んだに過ぎないのか、それを巨湫がしづ子を『引き留めるための最後の手段』となるとでも思ったものか。しかし――しづ子はこの十二日後の投句稿を最後に失踪してしまうのである――私は逆に、この『読売新聞』夕刊文化欄「新人抄」掲載という事実は、しづ子自身にとっては俳句を見限る大きな一つの「事件」ではなかったか、これが失踪にしづ子を駆り立てた、最後のスプリング・ボードではなかったか――と私は疑うのである。
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