鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年八月三十日附句稿五十五句より(3) 古橋広之進三句
端居して盡くることなき古橋論
古橋敗れたり町に散らばる店舗の燈
古橋敗れたり團扇の風をつと強め
これこそが、あの汗ばんだ夏の、饐えたゴミ箱の漂ってくる、正真正銘の「ALWAYS 三丁目の夕日」の映像ではないか!
昭和二十四(一九四九)年八月に招待された、ロサンゼルスでの全米選手権で世界新記録を樹立し、現地で「フジヤマのトビウオ」“The Flying Fish of Fujiyama”と呼ばれて戦後日本人の大きな希望の燈となった古橋広之進は、この昭和二十七(一九五二)年七月十九日から八月三日までフィンランドのヘルシンキで開催されたヘルシンキ・オリンピックに出場したが、既に選手としてのピークを過ぎていたことや体調の不良が祟って、四百メートル自由形八位に終わった。参照したウィキの「古橋広之進」によれば、『この時、実況を担当したNHKの飯田次男アナウンサーが涙声で「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。古橋に有難うを言ってあげて下さい」と述べたことがあった。帰国中の船内では自殺まで考えていたという』とある。――「盡くることなき古橋論」を展開する人――「古橋敗れたり」の現実をラジオで体感した人々の落胆が点綴される――「町に散らばる店舗の燈」に――敗れた瞬間、その時、日本中の人々が、「つと強め」て団扇をバタつかせた――私はこの時、まだ生を享けていないが――私には確かにその情景と匂いと思いが確かに伝わってくるのである――この句によって――
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