怒り
とあるサブカルチャーを素材とした『学術論文』を読んだ。そこで僕が知ったことは『学術論文』であるためには、総ての引用が正しく明記されていることだと知った。僕はそれだけでアカデミズムの馬鹿馬鹿しさがよく分かった。何故なら、引用が明記されれていれば、愚劣邸能な文章であっても、それは『学術論文』となるのだという、とんでもない逆説を暴露しているからである。
そんな地平に立っているから、アカデミズムは真理に到達出来ないんじゃないか! ド阿呆が!
――いや、翻って考えれば『ジャーナリズム』なるものの欺瞞性もたっぷり分かるじゃないか! 真のジャーナリズムが育たないのは、ジャーナリストが実は『真実を語っている』と思わせるマジックに終止しているからではないのか?――「お前ら知らないだろ? 教えてやろうか? だからお前ら、莫迦なんだ」的言い方でしか語れない「民衆の教師」――彼らは「教師」ではない――いや――僕もそうでなかったとは言わない――
――しかし――じゃあ、本当のジャーナリストはどこにいるんだ?
――俳句は創作者だけがいて鑑賞者がいないというのと同じだ――どこにも「共有」する「生」の存在がない――幻の中で雅びに自慰する――そんな『似非ジャーナリスト』ばかりがいる、こんな世界――ゲーデルの言った「不完全性定理」そのもののこの世は――こんな人類は――滅んで――よい――
誰か――出てこい!
――もっと『僕のように』斜に構えない、真のジャーナリストよ!
そうしないと君を含む人類は明日にも――滅ぶ――いいや、だからさ、僕は滅んだ方がいいと――言っているのだがね ♪ふふふ♪
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