鈴木しづ子 三十三歳 昭和二十七(一九五二)年八月十八日附句稿十四句より ひと在らぬ半ば開きの氷庫の扉
ひと在らぬ半ば開きの氷庫の扉
ケリーとの愛の巣の思い出の品――タルコフスキイの「鏡」の1ショットである――
さて、ここに現在、川村氏の所持する大量投句稿に紛れ込んでいた一通の巨湫宛のしづ子書簡がある。川村氏は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の中でそれが写真入りで紹介されているが、そこには以下のように記されている(写真画像から改行も再現してテクスト化した)。
曆の上ではもう立秋になりましたが、
毎日あつい日がつづいてをります。
ご氣元[やぶちゃん注:ママ。]如何でいらつしやいますか。
本年中に家をかはることになりさう
ですが、只今のところ、よその[やぶちゃん字注:「他」と書いて末梢。]県に行
くのか、またこの那加町内でかはるのか、
未だはつきりいたしません。かはり
ましたら何れにいたしましても
ご通知申上げます故、それ迠は
お手殘[やぶちゃん注:ママ。]下さいませぬよう。
御身体お大切に。
八月九日 しづ子
巨湫先生
川村氏は封筒の消印が判読不能であるが、差出先から、この投句稿の九日前の昭和二十七年八月九日と推測されている。「お手殘」は「お手紙」の誤記と考えられるから、ここでしづ子は巨湫からの来信さえも遂に遮断したことが判明する。しづ子の失踪の毅然たる準備は着々と確実に進められていたことが分かるのである。
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