鈴木しづ子 四十一歳 『きのうみ』昭和三十八(一九六三)年六月号しづ子詐称投句全掲載句
きょうだいの性異なれる綠雨かな
拭ぐう雨東京の土踏むことなし
書くときも身近かにたもつ蠅叩き
五月雨や流れどおしの木木の膚
萬綠や腰おろすべき石さがす
この時、『樹海』は『きのうみ・樹海』と改称し、通算五十号を数えている。さて、掲載句は総て現存する大量投句稿の、最も古い昭和二十六(一九五一)年六月八日附句稿から採られている。但し、「拭ぐう雨」と「五月雨や」の二句は、投句稿では、
拭う汗東京の土踏むことなし
五月雨の流れどおしの木木の膚
である。後者の斧正は格助詞「の」の畳み掛けを切れ字で断つ方が断然よく、穏当であり正しい(「ぐ」の、この後にも似たように見られる気持ちの悪い送り仮名はいただけないが)。しかし、前者は私から見ると、たとえ師であっても斧正としては全く認められない『操作』である――いや――いいか、どうせ詐称しているんだから、ね……。
そして――この掲載には巨湫の最後の芝居と謎かけがなされている――
まず、川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の本文(三九四頁)によれば、この詐称投句に虚偽の選評を施し、
ひさかた振りのしづ子さん。俳句のルール(みちすじ)を踏まえている。――象徴――てんでゆるぎもありません「格はいく第五詩格旧十七音詩」(乗摘象徴発想)として推します
とあるとする。『「格はいく第五詩格旧十七音詩」(乗摘象徴発想)』とはよく分からないが、恐らく巨湫が「樹海」同人の中で展開した彼の独自の俳論のセオリーの一種であろう。それにしても、ここまで確信犯で詐称を厚塗りする巨湫は、何か見ていて傷ましい気がしてくる。
更に「謎」である。それは、この掲載の作者の住所を示す位置に(底本では一句目「きょうだいの」の後に編者注で示されるが、「鈴木しづ子」という名前がその句の下(若しくは後)に示されてある、その下の位置か?)ある。
狭河
である。謎の地名である、この謎の「狭河」の探訪は「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の最終章をお読み戴きたい。
――それにしても――巨湫が四年の沈黙を破ってまたしても確信犯の詐称を再開した、その採録投句稿が、例の異様な大量投句稿の最初の日附であることに着目したい。――巨湫はまたしても確信犯でゼロ座標からしづ子投句を始めようとしたのではなかったか? 彼は性懲りもなく――またゼロから詐称を始めたのではなかったか?!……しかし……
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