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2012/02/22

附 しづ子大量投句稿日附不明二十枚の内 ノンブル「17」・「18」

 川村蘭太氏の「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」の中に判読可能な大きさで画像が示されている句稿が二枚ある。これを見ると、少なくともこの句稿の場合、激しい推敲の後を留めたもの(普通の投句に見られる清書がなされていないもの)であることが分かる。川村氏はこれを用いて、しづ子の作句上の特徴である『連作作法』を明らかにされている。川村氏の言う『連作作法』とは、『最初に得たイメージを連鎖させることによって、自身のテーマを摑んでゆく方法で』、『テーマの確証が固まってくると、しづ子は俄にその主題に埋没し出』し、『彼女はテーマに埋没することによって描くべき人物になり切ってゆく』のだと語られ、その例をこの二枚の原稿画像を用いて解説なさっておられる。
 ただ、ここには私にはやや解せない部分がある。それは三五六頁の書き出しに『最初のイメージを想起させる句』として掲げられた、いわばここで連作作法を説明するプロトタイプの句として、「満月の夜にて女體の恥ずるなり」が示されているのだが、続けて読んでゆくと、この句は「17」よりも前の句稿にあるように書かれているのである(三五七頁冒頭に『これでこの句は完了したのかと思うと、一七枚目には』とあることから明白)。ところが、更に読み進め、また、掲げられた画像を視認してみると、「18」枚目になってまた、先に川村氏が説明したのと全く同じ推敲訂正抹消を施した「満月の夜にて女體の恥ずるなり」が再び現れるのである。同じ推敲訂正末梢を施したものが再度現れることはあり得ないとは言えないが、失礼乍ら私は、ここには叙述上の何らかの錯綜があるのではないかと感じている。
 それはそれとして、私は、本プロジェクトの最後に、この画像として視認出来るしづ子の生原稿を私なりの方法で読み取り、活字で再現したい願望に駆られたのである(「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」巻末の「鈴木しづ子 全句」にある句群は推敲の跡を示していない。しづ子の推敲過程への興味は川村氏ならずともそそられるものがある。また、その願望以外に、失礼ながら「全句」では例えばこの最初の句の下五を「搖らぎかふ」と誤読――これは草書体の「な」を「ふ」と誤読したとしか思われない。そして実は「鈴木しづ子 全句」の他の箇所にも全く同様と推測される誤読としか思われないものが散見されるのである――している。また「全句」では、本文で川村氏がちゃんと読んでおられる「祈」の字が「■」で判読不能となっている等々、どうも川村氏ではない編集者によると思われる判読部分に多くの疑義があるのである)。以下、その作業を、せめてもの私の最後の、しづ子への謝意として終わりとしたいのである。

●大量投句稿日附不明二十枚の内 ノンブル「17」句稿

17[やぶちゃん注:右上に。通常便箋。左右の端の罫は、やや太く且つ上下もやや長い。句は基本一枚の便箋に一行空きで八句書かれており、その間に推敲跡がある。]

   臥して見る白木蓮の搖らぎかな

   花過ぎの木蓮の葉の靑みけり

   足早に樹蔭を過ぐる手の包み

[やぶちゃん注:次の句は激しい推敲の跡がある。画像が小さいので抹消文字の判読は難しいが、推敲過程を私なりの読みで推測しながら示すと、まず最初に、

   木蓮の白花をもちし樹蔭なり

と書いたもの全体を波線一本で抹消し、右に一字下げて少し小さく、

    花過ぎの白木蓮の茂りかな

と記した上で、更にその下五「茂りかな」を途中で捻じれた一本線で抹消し、左側の空行の「もちし」の「ち」の高さの所に同じ大きさの字で、

          木の茂り

 と書いて、二行前の「白木蓮の」の「の」の下と曲線で繫げている。従って、次の句が最終推敲句となる。]

   花過ぎの白木蓮の木の茂り

[やぶちゃん注:従って、この句の推敲過程は、

   木蓮の白花をもちし樹蔭なり
      ↓
   花過ぎの白木蓮の茂りかな
      ↓
   花過ぎの白木蓮の木の茂り

となる。]

[やぶちゃん注:次の句は、本来、以下の記載がしづ子のものである。]

   滿月の夜は女體もて祈り遂ぐ

[やぶちゃん注:ところが不思議なことに、この句は「全句」のあるべき当該箇所に所収してない。そして、この句稿には鉛筆による書き込みが多数ある。以下、その鉛筆書きを説明する。
まず句の頭に「の」の字状の記号と
その下に「レ」字型の記号が重ねて二つ
存在する。
そして、
「滿」をぐりぐりと消して右に「まん」
とあり、
「夜は」の「は」をぐりぐりと消して右に「ぞ」
と書き、
「祈り」の「祈」の横に「いの」
と書く。
ところが鉛筆による書き込みはそれで終わらずに、
句全体に曲線を持った一本線で削除線
が延びて、
「遂」の字から逆Vの字型に下部に線
が引かれて、その中に、右側、
判読不明の丸に左に落ちる鍵型の不思議な記号
が、そしてその下に、
「?」を〇で囲ったような記号
を配し、その左に、
「〇レ」のような記号
を頭にした、

   まん月の夜の

と記してあって、その更に左に(写真では一部の判読が難しいが川村氏の判読を参考にすれば)、

   いのりぞ女體もて

とある。これをそのまま続けて表記すれば、

   まん月の夜のいのりぞ女體もて

と読める。
 しかし乍ら、これは鉛筆であり、頭の「レ」の記号(明らかに選句の圏点)を見ても、しづ子の書き入れではなく、本文で川村氏も指摘されている通り、巨湫の斧正による句と見て間違いない。従って、しづ子の句としては、あくまで最初に示した「滿月の夜は女體もて祈り遂ぐ」のみが「全句」として採用されなければならない。]

[やぶちゃん注:次の句も激しい推敲の跡がある。まず最初に、

   滿月の夜こそ女體のけがれなし

と記し、恐らくまず、「こそ」を二重線で消去してその右に、

       にて

と記した。ところがその後に気に入らなくなったしづ子は、残りの「滿月の夜」「女體のけがれなし」の部分に波線を引いて末梢、左の空行部分に、少し小さな字で、

    滿月の夜のいとなみの女人の手

と直した。しかし、下五がやはり気に入らず、「女人の手」を一本線で消去、今度は右の空行部分に、

               女體の手

と書いて、「いとなみの」の下と曲線で繋げて、以下の句を決定稿としているものと思われる。]

   滿月の夜のいとなみの女體の手

[やぶちゃん注:則ち、この句の推敲過程は、

   滿月の夜こそ女體のけがれなし
      ↓
   滿月の夜にて女體のけがれなし
      ↓
   滿月の夜のいとなみの女人の手
      ↓
   滿月の夜のいとなみの女體の手

となる。]

   傳説の満月の夜の捧げもの

   滿月の夜はいけにへの女體焚くと

●大量投句稿日附不明二十枚の内 ノンブル「18」句稿

18[やぶちゃん注:右上に。通常便箋。以下、17に同じ。]

   滿月の夜は祈りの手ほどかざる

[やぶちゃん注:元は、

滿月の夜は祈りの手摑みしままに

とあったものを、下五字余り七音を波線で消去、「ほどかざる」と右に訂したものである。]

   女體にて月のみ前に恥づるなし

[やぶちゃん注:頭に巨湫によると思われる鉛筆の「レ」点一つあり。この句は元の、

   月み前女體捧げて惜しむなし

を総て波線で消去、その右側にやや小さな字で表記の句を書いている。]

   滿月の夜にて捧げむ女體かな

[やぶちゃん注:頭に巨湫によると思われる鉛筆の「レ」点一つあり。この句は元の、

   滿月の夜こそ捧げむ女體かな

とした「こそ」を二重線で消去、右側に「にて」としたものである。]

   女體にて滿月の夜の火を捧ぐ

[やぶちゃん注:元は、

   滿月の夜こそ女體の恥づるなし

であった。次に、まず「こそ」に二重線を引き、右側に「にて」として、

   滿月の夜にて女體の恥づるなし

としたが、気に入らず、「にて」を更に一本線で消去した上で「滿月の夜」「女體の恥づるなり」をも波線で消去して、冒頭の句を決定稿としたものと思われる。]

   滿月の夜に女體に祈りはなし

   萬綠の岩に足立ち髮を梳く

   ローレライの乙女とおもふ萬綠に

   綠蔭におのが歌ごゑ翳らしむ

[やぶちゃん注:この句、頭に巨湫によると思われる鉛筆の「レ」点二つあり。]

これを以て、私の鈴木しづ子全句からの琴線句抄出を終了する。

最後に――
我々に鈴木しづ子の全貌を伝えて下さった川村蘭太氏に改めて心より感謝する――

そして――

しづへ――
愛を込めて――“Here's looking at you, kid!”――君の瞳に乾杯!

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