告別 宮澤賢治
三八四
告別 宮澤賢治
一九二五、一〇、二五、
おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴つてゐたかを
おそらくおまへはわかつてゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無數の順列を
はつきり知つて自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の樂人たちが
幼齡弦や鍵器をとつて
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この國にある皮革の鼓器と
竹でつくつた管とをとつた
けれどもちやうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもつてゐるものは
町と村との一萬人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかつたが、
おれは四月はもう學校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失つて
ふたたび囘復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多數をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無數の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを嚙んで歌ふのだ
もしも樂器がなかつたら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいつぱいの
光でできたパイプオルガンを彈くがいゝ
(「心象スケツチ 春と修羅」第二集より)