ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (13)
白馬
私の馬は白馬だ、
初めは栗毛だつたが。
夜でも晝でも旅をして
歩いて行くのが大好きだ。
旅した道は大變だ
半分だけを語つてみても。
アダムを花園で乘せた、
彼が天から落ちた日に。
バビロンの野では、
賞牌目あてに驅けたが、
ハンニンバル大王に
その翌日は狩り立てられた。
それからは狐狩の時に
またしても狩り立てられた。
その時ネブカトネザルは
牛の姿で草を食べてゐた。
*
THE WHITE HORSE
My horse he is white,
Though at first he was bay,
And he took great delight
In travelling by night
And by day.
His travels were great
If I could but half of them tell,
He was rode in the garden by Adam,
The day that he fell.
On Babylon plains
He ran with speed for the plate,
He was hunted next day
By Hannibal the great.
After that he was hunted
In the chase of a fox,
When Nebuchadnezzar ate grass,
In the shape of an ox.
[やぶちゃん注:原詩は最初の一連が御覧の通り、五行である。
「栗毛」黄褐色の毛で覆われる毛色。我々がイメージする一般的なサラブレッドは「鹿毛(かげ)」と言って長毛(鬣(たてがみ)や尻尾)と四肢が黒色を帯びるが、栗毛ではそれがなく、全身が黄褐色である。但し、原文は“bay”で、これは「鹿毛」のことである。栗毛なら“chestnut”である。不審。
「バビロン」は紀元前のメソポタミア地方の古代都市で、バグダードの南方、ユーフラテス川河畔にあった。ハンニバルが生きた時代はセレウコス朝であるが、ここは超時空で(「翌日」は翌日ではない)、バビロンの栄華の時代の設定であろう。
「賞牌」は「しゃうはい(しょうはい)」と読み、競技の入賞者などに賞として与えるメダル。のこと。但し、ここは競馬であるから、“plate”は近代競馬の賞杯である「金(銀)盃」を意味していよう。
「ハンニバル」Hannibal Barca(ハンニバル・バルカ B.C.247年頃~B.C.183年か182年頃)はカルタゴの将軍。第二次ポエニ戦争でローマ軍に大勝したが、のちにローマの武将スキピオに敗れ、小アジアに亡命、自殺した。
「ハンニンバル大王に/その翌日は狩り立てられた」原文“He was hunted next day/ By Hannibal the
great.”で、これは「翌日は狩りに駆り出された/ハンニバル大王様の御騎乗で」という意味である。この訳ではまるでハンニバルに生捕りにされそうになった、という誤読をしてしまう。
「ネブカドネザル」は古代メソポタミアの王の名で、四人の王がこの名を持つが、単に“Nebuchadnezzar”と記す場合はネブカドネザル2世(B.C.604年~B.C.562年)の新バビロニアの王を指す。いずれにせよ、この四人の王は総てハンニバルの時代より遥かに昔であるから、この狂詩の支離滅裂さの真骨頂である。但し、これはネブガドネザルが後世転生して牛(雄牛)となっていた、とも解釈は可能である。ともかくも「その時ネブカトネザルは/牛の姿で草を食べてゐた」という章句には、戯言以外の何らかのネブカトネザルに纏わる民間伝承が隠されているのかも知れないが、調べ切れなかった。識者の御教授を乞うものである。
最後に。ちょいと私も定型狂詩っぽくオリジナルに訳してみたい気になった。
白馬(あおうま)
おいらの馬は白馬(あおうま)よ、
ところがどっこい昔は鹿毛(かげ)よ――
奴(きゃつ)の好みは
昼夜を継ぎ
驅けるわ、驅ける、その驅り――
奴(きゃつ)が走った、どえらい路程、
その半分も語れねえ――
昔を言やあ、園エデン、御先祖アダムを乗せ申し、
堕天、韋駄天、それも奴(きゃつ)――
バビロンの、その野辺の競馬場、
金杯目あてに驅け抜けて――
さて翌日は狩りに出る、
騎(の)るは大殿(おおとの)ハンニバル――
次に控えし奴(きゃつ)の狩り、
そいつは狐を追う修行――
さてもその時、ネブカドネザル、
草を食んでる雄牛で御座い――
おあとがよろしいようで――]
次の句では、ノアと箱船にはひつたり、モーゼを乘せて紅海を横切つたりした事があつた。それから――
やつと運が向いて來て
エヂプトではパラオの傍に居て、
王を乘せては堂堂と
花やかなナイルの岸を練つたものだ。
サウル王と居た時は
艱難辛苦を共にした。
ダビテの傍に居た時は
ダビテがゴリアテを殺した。
*
We are told in the next verses of his going into the ark with Noah,
of Moses riding him through the Red Sea; then
He was with king Pharaoh in Egypt
When fortune did smile,
And he rode him stately along
The gay banks of the Nile.
He was with king Saul and all
His troubles went through,
He was with
king David the day
That Goliath he slew.
[やぶちゃん注:「パラオ」“Pharaoh”はファラオ、古代エジプトの君主の称号。
「サウル」は、旧約聖書「サムエル記」に登場する、紀元前10世紀頃のイスラエル王国最初の王。以下、ウィキの「サウル」から引用する。ユダヤの指導者にして預言者であったサムエルの神託によって王として選ばれた『サウルは息子ヨナタンや家臣たちと共にイスラエルを率いて、ペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦った。しかしアマレク人との戦いで「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の心は彼から離れた』『神の声を伝えていたサムエルもこれ以降サウルに会うことはなかった。サムエルはサウルをあきらめ、神の言葉によってひそかにエッサイの子ダビデに油を注いだ。ダビデはペリシテの勇者ゴリアテ(次注参照)を討って有名になり、竪琴の名手としてサウルに仕えたが、サウルはダビデの人気をねたんで命を狙った。ダビデは逃れ、何度もサウルを殺害するチャンスを得たが、「神の選んだ人に手をかけられない」といってサウルに手を触れなかった』。『ダビデの立琴によってサウルから悪霊が出て行』ったが、後、『サウルはペリシテ軍との戦いの中で、ギルボア山で息子たちと共に追い詰められ、剣の上に身を投げて死んだ』とも、『「重傷だったサウルに頼まれて家臣がとどめをさした」との異なる伝承もある』。『サウルとヨナタンの遺骨は、次の王となったダビデによって、ベニヤミンの地ツェラの父の墓に葬られ』、『サウル王の四男のイシュ・ボシェテがただ一人生き残り、将軍アブネルに支持されて、マハナイムでサウル王朝第2代目の王になった。イシュ・ボシェテが暗殺されるとサウル王朝は滅亡して、ダビデ王朝が始まった』とある。
「ゴリアテ」は(以下、ウィキの「ゴリアテ」から引用)『旧約聖書の「サムエル記」に登場するペリシテ人の巨人兵士。身長は6キュビト半』『(約2.9メートル)、身にまとっていた銅の小札かたびら(鎧)は5000シェケル』『(約57キログラム)、槍の鉄の刃は600シェケル』『(約6.8キログラム)あったという。サウル王治下のイスラエル王国の兵士と対峙し、彼らの神を嘲ったが、羊飼いの少年であったダビデが投石器から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられた』。
私の定型狂詩オリジナル訳。
頃はエジプト、ファラオと一緒、
運命の、女神がにっこり、笑みをかけ――
王を騎上に堂堂と、
花のナイルの岸うねる――
サウルの王といた時にゃ、
艱難辛苦をなめ尽くし――
ダビテの王といた時にや、
ゴリアテ殺した日にもいた――
おあとがよろしいようで――]
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