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2012/03/13

宇野浩二 芥川龍之介 四~(3)

 芥川は、大正七年の一月に、芥川の作品には昔のことを書いたものが多いが、それはどういう訳であるか、と聞かれたのに対して答えた『昔』という文章のなかで、つぎのように述べている。

……今僕が或テエマを捉へてそれを小説に書くとする。さうしてそのテエマを芸術的に最も力強く表現する為〔ため〕には、或異常な事件が必要になるとする。その場合、その異常な事件なるものは、異常なだけそれだけ、今日〔こんにち〕この日本に起つた事としては書きこなし悪〔にく〕い、もし強〔しひ〕て書けば、多くの場合不自然の感を読者に起〔おこ〕させて、その結果折角のテエマまでも犬死〔いぬじに〕をさせる事になつてしまふ。所でこの困難を除〔のぞ〕く手段には「今日この日本に起つた事としては書きこなし悪い」と云ふ語が示してゐるやうに、昔か(未来は稀であらう)日本以外の土地か或は昔日本以外の土地から起〔おこ〕つた事とするより外〔ほか〕はない。

 しかし、これは、強弁である、虚勢である、後からしいてつけた理窟である。しかし、また、『今昔物語』、『宇治拾遺物語』、『十訓抄』、『聊斎志異』、その他の中から、一〔ひと〕つの話をより出した、『羅生門』、『鼻』、『芋粥』、その他のような、物語風の短篇は、何といっても、芥川の独創である。『芋粥』も、『今昔物語』にも、『宇治拾遺物語』にも、出ている、簡単な挿話(あるい笑話)であるが、あれらをあのような短篇に作り出したのは、よしあしは別に、芥川の発明で芥川のすぐれた才能の賜物〔たまもの〕である。そうして、その芥川のたぐい稀な才能とは、まえに書いた、美辞麗句の文章と、細工のこまかい表現と、(『細工は流流〔りゅうりゅう〕仕上〔しあ〕げを御覧〔ごろう〕じろ』と鼻にかけるような細工のこまかい流麗な文章と、)その作品の中の随所にあらわれている、これこそ芥川独得の、皮肉と諷刺と機智である。

 されば、『鼻』を発表し、つづいて、『芋粥』を出した頃の芥川は、人気〔にんき〕の出花〔でばな〕の、若手作家の、なにもかも、颯爽たるところがあった。どこへ行っても、『鼻』と『芋粥』をほめる声が聞こえるような観さえあった。

 しかし、さきに引いた芥川のテエマという言葉をここに持ち出すと、『鼻』と『芋粥』のテエマは、兩方とも、理想(あるいは空想)は理想(あるいは空想)であるうちが花という程の意味である。とすると芥川や(殊に)菊池が愛読したアイルランドの劇作家シングの『聖者の泉』(“The Well of the Saints”――『霊験』という題で翻案された)とまったく同じ趣向である。

[やぶちゃん注:「アイルランドの劇作家シングの『聖者の泉』(“The Well of the Saints”――『霊験』という題で翻案された)」とあるが、この「翻案」された『霊験』なる作品は、菊池寛の作ではなく(文脈上、そのように読めてしまう)坪内逍遥の作品で、舞台は安土桃山時代の武蔵国とし、草鞋や草履を編んで生計を立てている盲目の夫婦が主人公で、村人たちによって二人は大変な器量良しと思い込んでいるところへ、開眼の法力を持った上人が訪れる、というシングの「聖者の泉」の完璧なインスパイア作品であるが、逍遙の作中のみならず、近代以降の西洋劇の国劇翻案の中でも白眉とされている作品である(リンク先は私の松村みね子(片山廣子)訳の同テキスト)。]

 ここで、又、趣向といえは『芋粥』、の主人公の五位と、アカアキイ・アカアキヰッチが似ているところがある事である。それは、例えば、同僚から、しじゅう、翻弄され、「その鼻と口髭と、烏帽子〔えぼし〕と水干とを、品隲〔ひんしつ〕され、」わるい悪戯をされる『芋粥』の主人公五位、さまざまな文学者から、「さんざん嘲弄されたり、揶揄されたり、」する終身九等官、アカアキイ・アカアキヰッチを思わせるところがあるからである。

[やぶちゃん注:「アカアキイ・アカアキヰッチ」は「外套」の主人公“Акакий Акакиевич Башмачкин”。音写すると「アカーキィ・アカーキエウィッチ・バシマチキン」である(因みに実藤正義氏の「ロシア語一“語”一会」の「第8回 所有形容詞(物主形容詞)③」によれば、“Акакий”はギリシャ語の「純朴な」という意の語に由来し、従って父称名も同じであるから「純朴な父をもつ純朴な男」という意味になる。更に“Башмачкин”は「靴(主に女性用)」を意味する“башмак”の指小形で、“под башмаком”『とすれば「誰々のいいなりになる」ということなので、「うだつのあがらない小心な男」というほどの意味で使ったのではないか』と推測されている)。現在、「芋粥」はその導入部や主人公五位の設定に、明らかに「外套」(芥川龍之介は英訳で読んでいた)の影響があることが知られており、ネット上でも影響関係を分析した論文を閲覧出来るが、宇野のこの指摘(「毛利先生」との類似も含めて)は、正にその嚆矢なのである。

『「その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲され、」』の原文は厳密には「彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲して飽きる事を知らなかつた。」で受身形ではない。逆に、直前の「翻弄され」の方は同段落冒頭に「所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄しやうとした」という他動詞形で現れる。「品隲」は「品騭」とも書き、品定めのこと。

『さまざまな文学者から、「さんざん嘲弄されたり、揶揄されたり、」』これは「外套」では、アカーキィ個人に対するものではなく、新聞小説や評論を書く当時の作家・評論家(ライター)の愚弄と嘲笑の格好の餌食となっていた九等官という当時の賤吏階級、という文脈で語られている部分である。]

 それから、又〔また〕、「過去に於て黒かつたと云ふ事実を危く忘却させる位、文字どほり蒼然たる古色を帯びた」モオニング・コオトをきて生徒たちに笑いをこらえさせる、という『毛利先生』の主人公は、「仕立屋〔したてや〕がすぐれた腕をあらはさなかつたために、そのつぎあてた切れが大きすぎて、みにくい恰好につくられた」外套をきている、やはり、『外套』の主人公のアカアキイ・アカアキヰッチと似ているからである。

[やぶちゃん注:「毛利先生」の私の注附正字正仮名テクストはここにある。]

 ところで、これまで芥川の趣向の取り方についていろいろ述べてきたが、これは、(もとより小説と歌とでは違うけれど、)歌にもそれにはほんの少し似た例がある。その歌の方で一つの例をあげると、たとえば、源実朝の

  大海の磯もとどろに寄する波われて砕けてさけて散るかも

という歌は、万葉集のなかの

  伊勢の海磯もとどろに寄する波かしこき人に恋ひ渡るかも

  聞きしより物を思へばわが胸はわれて摧けて鋭心もなし

  大海のいそもとゆすり立つ波のよらむ[よせむ]と思へる浜のさやけく

などといくらか似ている。こういうのは、歌の方では『本歌取』というのであるが、この実朝の歌は、かりに本歌取という事になるとしても、この歌をよめは、豪快な天然の現象をながめて感動している実朝の感動が胸をゆするような韻律となってよむ者の心をうつところ、やはり、押しも押されもせぬ、源実朝の歌である。

[やぶちゃん注:「伊勢の海……」は、「万葉集」巻四の第六〇〇番歌で、作者は笠女郎〔かさのいらつめ〕。大伴家持との相聞歌である。「聞きしより……」は巻十二の第二八九四番歌。作者未詳。「鋭心」は「とごころ」と読む。「利心」とも書き、しっかりした心持ちを言う。「大海の……」は巻七の第一二〇一番歌であるが、宇野の表記は一般的でない。以下に示す。

  大海の水底〔みなそこ〕響〔とよ〕み立つ波の寄らむと思へる礒〔いそ〕のさやけさ

作者未詳。]

 そこで、さきに述べたように、歌と小説とではまったく違うけれど、芥川の『鼻』の元になったのは、『今昔物語』の巻二十二に出ている原稿紙[四百字づめ]で四枚たらずの簡単な挿話(あるいは笑話)であるが、それをあのような、まず、手のこんだ、物語に作ったのであるから、やはり、これは、芥川の独得の才能が発明した、という事になるのである。

『鼻』は、岩城準太郎が解説しているように禅智内供が、邪魔になる長い鼻を治療して年来の望みをとげた満足の気もち、さて、人間なみの鼻になったために却って人びとに笑われて後悔する気もち、それから、元のとおりの長い鼻になってほっとした気もち、――この三つの気もちを、芥川独得の皮肉と諧謔とをまぜて、機智のゆたかな、気のきいた、しやれた、心にくいような一種の名文で、書いたものである。そうして、

――かうなれば、もう誰も哂〔わら〕ふものはないにちがひない。

内供は心の中でかう自分に囁〔ささや〕いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

と結〔むす〕んでいる。

[やぶちゃん注:「岩城準太郎」(明治十一(一八七八)年~昭和三十二(一九五七)年)は国文学者。奈良女女子高等師範学校教授。明治三十九(一九〇六)年に表した「明治文学史」は本邦初の体系的な近代文学史とされる。]

 これをかりに『芸』とすれば、これは、実に、あざやかな、水際〔みずぎわ〕だった、芸である。

 それから、『芋粥』も、やはり、『今昔物語』の巻二十六の話を元〔もと〕にしたものであるが、これも、『今昔物語』の話は、敦賀〔つるが〕の豪族の、藤原利仁の豪著な生活の有様〔ありさま〕を述べる事を主としているが、芥川の『芋粥』では、五位が、どうかして芋粥を腹一ばいたべたい、と念願していたのが、芋粥のたき方〔かた〕があまり大〔おお〕がかりなのと、その饗応があまり大袈裟〔おおげさ〕であったので、閉口した、という事になっている。が、この『芋粥』の最後の

……晴れてはゐても、敦賀の朝は、身にしみるやうに、風が寒い。五位は慌〔あわ〕てゝ、鼻をおさへると同時に銀〔しろがね〕の提〔ひさげ〕に向つて大きな嚔した。

というところを読むと、『鼻』も、『芋粥』も同じ手である、と思えば、芥川の才能が、派手ではあるが、あまり底が深くないことがわかる。

[やぶちゃん注:「提」本来は、銀や錫製で出来た、鉉〔つる〕と注ぎ口の附いた小鍋形の銚子を言うが、「芋粥」に登場するそれは、『それから、一時間の後、五位は利仁や舅の有仁)と共に、朝飯の膳に向つた。前にあるのは、銀の提の一斗ばかりはいるのに、なみなみと海の如くたたへた、恐るべき芋粥である。』と描写されるから、かなり大振りの鍋様のものである。]

 しかし、また、芥川が、他の人の作品から趣向をとりながら、それをまったく自分が作った作品のようにしてしまうところは、いわゆる『家の芸』というべきものであろう。それは、どこかから趣向を取ってあっても、一般の人たちには、なかなか見やぶれない、というような上手になっているからである。

 ところが、芥川が師として尊敬している、夏目漱石は、趣向の取り方においては、芥川に輪をかけたようなところがあった。しかし、漱石が趣向をとった本は、私の知っているのでは、二つあって、両方とも、外国の昔の作者の本で、あまり人に読まれていないものであるから、わりに多くの人に知られていないようである。

 その作者とは、一人は、ドイツの十八世紀の、後期ロマン派の作家、アマデクス・ホフマンであり、他の一人は、イギリスの十八世紀の、詩人であり作家ある、ジョオジ・メレディスである。

 漱石が、はじめて筋らしいを仕組んだ小説といわれる、『虞美人草』は、野上豊一郎の解説によれば、漱石が、教職を捨て、朝日新聞社にはいって、自由の身になって、京都に遊び、嵐山に行ったり、比叡山に上〔のぼ〕ったり、した時の事が、素材の一部になっているけれど、「作者[註―漱石]はメレディスの小説を愛読してゐた。京都滞在中、筆者[註―野上]に送つた葉書にも、『僕少々小説を読んで是から小説を作らんとする所なり、所謂人工的インスピレエションに取りかかる、』とありて、『花食まば鶯の糞も赤からん』の句が記してあつた、」と述べているが、誰か(人は忘れたが、信用できる人)が、『虞美人草』の荒筋は、メレディスの『我意の人』(“The Egoist”)とほとんどまったく同じであるばかりでなく、あの小説に出てくる、紫の女といわれる藤尾、哲学者の甲野さん、外交官志望の宗近さん、その他も、そのメレディスの『我意の人』[註―これはたしか平田禿木の訳名]に出てくる人物たちと同じ型の人間である、と書いていたのを、読んだことがある。私は早稲田大学の英文学科に籍をおいていた時、英語学の教授法の名人といわれる、増田藤之助という先生の、この“Egoist”の講義に二三度出たが、一時間のあいだに、四五行か十行ぐらいしか、その講義がすすまなかった。それは、(これはまちがいかもしれないが、漱石さえ、わからないところがあって、平田禿木に聞いた、という程であるから、)私などに読める筈がない。それに、この小説の日本訳もとうとう読む機会がなかったから、漱石の『虞美人草』の荒筋とメレディスの『我意の人』の荒筋が似ているかどうかは知る由もないが、さすがに漱石である、『虞美人草』はまったく漱石の小説であるから。 

 ところで、漱石の『吾輩は猫である』の終りの方に、

……猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分では是程の見識家はまたとあるまいと思うて居たが、先達てカーテル、ムルと云ふ見ず知らずの同族が突然大気燄を揚げたのでので、一寸吃驚〔ちよっとびっくり〕した。よくよく聞いて見たら、実は百年前に死んだのだが、不図した好奇心から……

というところがある。

 この『カーテル・ムル』というのは、つまり、ドストイェフスキイを、その構成的手法で、驚歎させた、という、ホフマンの『牡猫ムルの人生観』の中で活動する猫の名である。そうして、この小説は、その荒筋を一と口に述べると、科学と文学とに深い造詣を持ちながら、世をすねて暮らしている、屋根裏の哲人、アブラハム先生の生活を、アブラハム先生にひろわれた牡猫のムルが、観察し描写したものであるから、漱石も、また、ドストイェフスキイ同様に、この『牡猫ムルの人生観』の構成的手法に驚歎(はしなくても、ちょいと感心)して、『吾輩は猫である』の趣向を立てた、と見ても大〔たい〕したまちがいではない、と、私は、思うのである。聞くところによると、はじめ、作者の漱石が『猫伝』という題をつけたのを、俳句の大家であり雑誌の経営の才能の多分にある、漱石の友人、高浜虚子が、この小説の最初の一節をとって、『吾輩は猫である』としては、とすすめたので、この題になったのである。

 私は、この『牡猫ムルの人生観』は、日本語の翻訳で読んだが、あるところなど、この小説と『吾輩は猫である』とには、ところどころに、(ほんのところどころにではあるが、)ほとんど同じような長い一節があるけれど、やっぱり、『吾輩は猫である』は、『吾輩は猫である』であって、『牡猫ムルの人生観』と根元的にちがうところがある。それは、漱石などとちがって、ホフマンは、生来、異常な幻想力をそなえ、奇矯な生活をいとなんでいたから、一般に『悪魔のホフマン』とか『お化のホフマン』とか、いわれているけれど、単なる怪談作者ではなく、怪奇な話の形式によって、ホフマン自身が感じたとおりの、自然に対する深奥な驚異、人間の運命的な苦悩を描いている。

 それで、これも、簡単にいうと、ホフマンの猫が、妖怪めいた、ばけ物のような、猫であり、したがって、その観察も、深く、怪しく、陰気な小説であるが、漱石の猫は、数多の読者が御承知のごとく、陽気で、楽天的で、そのいう皮肉も人の顔をしかめさせるような深刻なところがないので、大衆の読者にしたしまれ、ホフマンの猫はその反対である。(ついでにいえば、芥川の数数の怪奇な⦅怪奇めいた⦆小説も、谷崎潤一郎の同じような作品も、作者がホフマンのような人間とはほとんど正反対であるから、怪奇も、妖気も、人にせまるような凄みがなく、読者をおもしろがらせるところに、この二人の作家の小説が多くの人に読まれるところがあるのである。)

 ところで、漱石の場合は他の作家とかなり違うところがあるようである。漱石は、『吾輩は猫である』や『坊ちやん』(ついでにいえば、私は、漱石の小説の中では、しいていえば、この二つの小説と『草枕』をもっとも高く買うのである、)その『吾輩は猫である』や『坊ちやん』などを読むと、たいへん陽気な人のように思われるけれど、実際は、かなり陰気なところ、ひどく気むずかしいところ、時としては、気ちがいになるのを恐れた、と文章では、真面目らしく書いている、芥川より、漱石は、時としては、気ちがいめいた事をする時があるようである。(その事は何かの作品に書いている。)

 そうして、芥川は、(晩年をのぞいて、)実生活の方では、かなり陽気なところがあり、人がおもしろがる色色な所へは、たいてい、出かけ、また、そういう色色な所を知っていた。(私は、そういう芥川にかなり接しているので、それらの事は、稍くわしく、述べるつもりである。が、こんどは、おもわず、芥川の作品について、述べすぎたので、書けなかったのを、誠に残念に思っている。)

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