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2012/03/30

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (8)

 此處の人達はお互ひ同志にもまた子供達にも親切であるが、動物の苦痛には冷淡で、また人が 苦しんでゐても危險でない時は、その苦痛に同情しない。女の子が齒痛で顏を曲げて泣き喚いてゐるのに、母宗は爐の向う側でその子を指しながら、その有樣を面白がるかのやうに、笑つてゐるのを時時見た。

 二三日前、マッキンレー大統領の死に就いて語つた時、私は暗殺者を殺すアメリカ式の方法を説明した。すると大の男が、大統領を殺した者はどの位の時間で死ぬだらうかと聞いた。

 「お前さんの指を彈くくらゐの間にさ。」 私は云つた。

 「なにも」その男は云つた。「電線などでやらなくても、同じやうに首は絞められるだらうがなア。王樣や大統領のやうな人を殺す奴は、自分も殺されることはわかつてゐる筈だから、樂に死ねば儲け物をさせるだけだ。三週間もかかつて死ぬのが當り前だ。さうすれば世の中に、そんなことをする奴は段段となくなるだらう。」

 人人が汽船を待つてゐる時、般卸臺で二匹の犬が喧嘩をすると、みんな面白がつて、激しい嚙み合ひを續けさせようとあらゆることをする。

 驢馬が動き出さないやうに、頭その蹄に縛りつけるのは、非常な苦痛を起させる仕方に違ひない。又いつか、或る家へ行つた時、其處にゐる女たちがみん膝をついて、生きた鴨や鵞鳥の羽根をむしってゐるのを見たことがあつた。

 苦痛のある時、人はその感情を隱したり、抑へようとしたりしない。或る爺さんは、此の冬病氣であつたが、「頭の痛かつた時」その唸り聲が、道の何處まで聞こえたかを教へようと云つて、私を案内した事があつた。

 

 

Although these people are kindly towards each other and to their children, they have no feeling for the sufferings of animals, and little sympathy for pain when the person who feels it is not in danger. I have sometimes seen a girl writhing and howling with toothache while her mother sat at the other side of the fireplace pointing at her and laughing at her as if amused by the sight.

A few days ago, when we had been talking of the death of President McKinley, I explained the American way of killing murderers, and a man asked me how long the man who killed the President would be dying.

'While you'd be snapping your fingers,' I said.

'Well,' said the man, 'they might as well hang him so, and not be bothering themselves with all them wires. A man who would kill a King or a President knows he has to die for it, and it's only giving him the thing he bargained for if he dies easy. It would be right he should be three weeks dying, and there'd be fewer of those things done in the world.'

If two dogs fight at the slip when we are waiting for the steamer, the men are delighted and do all they can to keep up the fury of the battle.

They tie down donkeys' heads to their hoofs to keep them from straying, in a way that must cause horrible pain, and sometimes when I go into a cottage I find all the women of the place down on their knees plucking the feathers from live ducks and geese.

When the people are in pain themselves they make no attempt to hide or control their feelings. An old man who was ill in the winter took me out the other day to show me how far down the road they could hear him yelling 'the time he had a pain in his head.'

 

[やぶちゃん注:「マッキンレー大統領」“President McKinley” ウィリアム・マッキンリー・ジュニア(“William McKinley, Jr.” 1897年~1901年)は第25代アメリカ合衆国大統領。最後の南北戦争従軍経験のある大統領であり、19世紀最後にして20世紀最初の大統領でもある。マッキンリー大統領ニューヨーク州バッファローのテンプル・オブ・ミュージックで、開催されていたパン・アメリカン博覧会に出席した1901年9月6日、無政府主義者“Leon Czolgosz”(レオン・チョルゴッシュ)に2度銃撃され、狙撃から6日後に容態が急変し、9月14日に死亡した(副大統領セオドア・ルーズベルトが大統領職を継ぐ)。マッキンリーは暗殺されたアメリカ合衆国大統領四人のうちの三人目に当たる。チョルゴッシュの裁判は9日後の9月23日に始まり、弁護士は精神異常を示唆したが、陪審員は一時間半の審議で有罪を評決、926日に殺人について有罪が宣告されて1029日に電気椅子による死刑が執行された。今回のシングのアラン帰還はチョルゴッシュの裁判の始まる直前であるから、死刑の話は推測の段階である(以上はウィキウィリアム・マッキンリー及びマッキンリー大統領暗殺事件を参照した)。]

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